『浴女その一』に付された解説の粗雑さ

 ツイッターのタイムラインを眺めていると、このようなツイートが目に入った。

 

 

 なるほど。『女性を性的に見せようとする記号のある絵を性的じゃない』と言う連中の意見については、私も同意しかねる。作者が工夫して性的に・官能的に描いているのに、それを政治議論上の不都合から無視するのは、浅はかな誤魔化しである。表現の自由を守ると標榜するなら、「性的・官能的表現を使って何が悪い!」とはっきり言うべきである。

 それはそれとして、さかつだ氏が『見て欲しい。』と言っているのは、次に引用する絵の解説文である。上のツイートはいったんどうでも良い。本題はこちらである。

 

女性が描くと裸婦でもエッチな感じがしない。そういう感想が聞こえてきそうですが、そもそも裸婦はエッチに(欲情的に、扇情的に)描こうとしなければ、ただの裸の人間にすぎません。この作品に清潔感があるのは、旧来の入浴図によくうかがわれる窃視趣味やチラリズム、流し目やシナ、上気した肌といった細工が仕組まれていないからです。作者の関心は、タイル張りの湯船に温泉がゆらめいて、縦横の格子模様がユラユラとひしゃげる様子にあったといいます。

(※編集部いいだ氏のツイートに添付された画像から引用者が文字に起こした)

 

 教養あるキュレーターが書いたとは到底思えない。解説のための限られた紙幅が、裸婦画一般についての筆者の的はずれな主張に費やされている。こんな解説、作品をろくに見なくても書ける。つまり、「作品の」解説になっていない。作者に無礼である。最後にようやく作品を思い出してその解説をしたかと思えば、『作者の関心は、タイル張りの湯船に温泉がゆらめいて、縦横の格子模様がユラユラとひしゃげる様子にあったといいます。』となぜか伝聞調である。誰からの情報かは不明だ。作者本人が「格子模様がひしゃげる様子を描きたかった」と言ったのだろうか。

 こんな解説になっていない解説に、「by東京国立近代美術館」と書かれるのが不憫でならない。

 

 一般論として読むにしても、まず『そもそも裸婦はエッチに(欲情的に、扇情的に)描こうとしなければ、ただの裸の人間にすぎません。』とあるが、これは正しいか。つまり、画家が扇情的に描こうとしなければ、その絵画を鑑賞する側も、扇情的だと受け取らないと言えるか。また、「ただの裸の人間」は本当に扇情性を持たないか。

 ある絵画に対してどういった感想を抱くかは人によるし、「ただの裸の人間」も同様である。扇情的だと感じる人も、そうでない人もいると考えるのが自然である。また、当然ながらその時代の文化的背景にもよる。例えば、今の私たちにとって、江戸時代に描かれた春画はあまり扇情的とは思われない。当時はそうだったのだろうと推測は出来るが、同じように感じるのは難しい。

 

 画家の意図と、その作品で用いられた記号の2つでは扇情性は論じられない。もし遠い外国の、何らかの遺跡から1枚の木版画が出土したとしよう。そこに上半身裸の女性が描かれている。情報はこれだけである。では、それは男性が自慰に日用するような「俗な」ものなのか、それとも、芸術品として貴族の客間に飾っても相応しいものなのか。あるいは、描かれているのは実は女神であり、単に高級であるにとどまらず、「神聖さ」があったりするのか。こうしたことは、その作品の社会文化的位置付けを検討することなしには語り得ない。

 むろん、キュレーターが雑に紹介した小倉遊亀『浴女 その一』が、発表された1938年の日本において、もっぱら庶民の性欲を刺激するために描かれた絵画ではないことくらい察しはつく。浮世絵とは異なる流れを汲んだ作品なのだろう。1938年なら西洋の絵画も十分伝わってきている。その影響も受けたかもしれない。解説するならこういうことを明らかにした上で書くべきである。

 

 また、キュレーターは、『この作品に清潔感があるのは、旧来の入浴図によくうかがわれる窃視趣味やチラリズム、流し目やシナ、上気した肌といった細工が仕組まれていないからです。』と言う。しかし、まず『旧来の入浴図』とは何か。喜多川歌麿のような浮世絵師が描いてきた入浴美人図を指しているのか。それなら、奥絵師四家から連なる伝統的な日本画とは畑違いであるから、比較自体が成立しない。それとも、伝統的な日本画にも入浴美人図が一定数があり、しかも大体は『清潔感』がなく、『窃視趣味やチラリズム、流し目やシナ、上気した肌といった細工が仕組まれ』たものだったのか。

 本当か? 例えば狩野派がそのような絵画を描いていたという話は寡聞にして知らない。御用絵師として幕府から発注を受け、清潔感のないみだらな入浴図をけっこう描かされていたのか。日本画に詳しい人がいたら教えて欲しい。

 

 『窃視趣味』は何がどうなっていれば「窃視趣味の細工がある」と言えるのか不明だが、たしかにその他に挙げられた「細工」はないのは見た通りの事実である。しかし、同じ条件を満たす絵で多くの人に扇情性が認められそうな作品は挙げられる。なお、R18指定であるので、未成年はクリックしないよう注意されたい。

 

www.pixiv.net

 

 上のKIYO氏によるイラストは、閲覧数やブックマーク数を見る限り、人気である。そして、全員が全裸であるから「チラリズム」はないし、流し目やシナ、上気した肌もない。また、人物のデフォルメの方法も、いわゆる「萌え絵」的なものではない。全裸でさえなければ、学生向けの教材の挿絵としてもさほど違和感はない。では、扇情性はないのかというと、少なくとも、作者と鑑賞者のあいだでは概ね「扇情性がある」と共通に認識されていると言って良さそうだ。

 これもまた、「文化的背景を考慮に入れないと扇情性など語り得ない」と私が考える一つの例である。