アゴラ記事『エログロの深夜アニメで町おこしをするべきではない』の論の粗雑さについて

 2021年3月10日、アゴラにて『エログロの深夜アニメで町おこしをするべきではない』という記事が公開された。Twitterでは即座に多方面のネット識者(?)に叩かれまくっていて、当該記事の執筆者である川畑 一樹氏は既にTwitterのアカウントを削除している。

 

agora-web.jp

 

 今回は、上記の記事のバカバカしさを細かく見ていこうと思う。

 

 さて。川畑氏は、まず次のように持論を展開させはじめた。
 特に問題があると思われる部分は下線付き太字で示す。

 

アニメで町おこしという話は最近よく見聞きするが、費用対効果の点で見ても問題が大きいが、本題はそこではない。エログロを売り物にしたアニメが一部の町おこしに使われているのである。

 

 『費用対効果の点で見ても問題が大きい』とのことだが、費用対効果の大小は当然ながらデータに基づいて議論されるべきである。「アニメによる町おこしは費用対効果が小さい」(=問題がある)と主張するなら、最低でも、次の2つのデータは必要だ。

 

1.「アニメで町おこし」にかかる費用のデータ:宣材の制作、イベントの開催等に必要になった諸経費。

2.それによって得られた経済波及効果のデータ:観光客がどれくらい増加したか、またその観光客が地域経済にどれくらいお金を落としたか。また、長期的に増加したのか、一時的な増加にとどまったのか等。

 

 これらを両方見て、その上で結論を出さなければならない。本当にデータを見て、問題が大きいと言っているのか? 私には極めて疑わしく思える。なお、日本政策投資銀行が公開している資料『コンテンツと地域活性化:日本アニメ100年、聖地巡礼を中心に』では、次のように経済波及効果を測定している。

 

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経済波及効果の一般的計測法(日本政策投資銀行資料より)

 

 「アニメで町おこし」が『費用対効果の点で見ても問題が大きい』と主張するなら、このようなデータを少なくとも代表的な「アニメで町おこし」が行われた事例については持っていて、それらを総合的に(統計的に)判断していなければならない。繰り返しになるが、お前は本当にこの作業をやったのか? あるいは、自分自身ではやらないにしても、「アニメで町おこしをするのは費用対効果に乏しい」と根拠付きで示されている信頼性のある論文を複数持っているのか? 持っていないのではないか?

 

 はい。たった一文に対しても、これくらい殴っていきます。

 その後に『本題はそこではない。』と言い訳めいた文章が続いているが、そもそも本題でない話を書くべきではないという指摘を措くとしても、例えば「地動説は間違っているが、本題はそこではない。」と現代で書かれたら、本題であろうとなかろうと、「マジで言ってるの?」とは問われるだろう。

 

 話を続けよう。次に川畑氏はこのように述べている。

 

『おちこぼれフルーツタルト』というアニメがある。登場するキャラクターにわいせつな衣装を着せたり排泄シーンを描いたりしている。舞台は東京都小金井市だが、小金井市では同アニメを題材にした観光イベントなどが実施されており、一部の商店や市議会議員もそれを後援しているという。これに対し一部の市民からは非難の声があがっているが、アニメのプロモーターなどはそれを黙殺し、「エロ」アニメと小金井市を無理やり結び付けようとしている。

 

 『舞台は東京都小金井市だが、小金井市では……』を、なぜ『だが』で繋いでいるのか?

 「だが」という接続詞は、ふつうは逆接である(順接の「だが」もなくはないが)。ここは『(アニメの)舞台が東京都小金井市であることから、小金井市は、同アニメを題材にした観光イベントなどを実施している。』と書くべきだろう。

 この不自然な「だが」は、おそらくパラグラフ末尾の『アニメと小金井市無理やり結び付けようとしている』に引っ張られて書いてしまったものと考えられる。小金井市が舞台だから小金井市でやる。何も無理やりではない。

 

 また、連発されている「一部の」も気になる。どんなことであれ、一部の人は賛成しており、一部の人は反対しているだろう。問題は対立する両者のうち、正当なのはAとBのどちらで、また、何を根拠にそちらを「正当」だと判断できたのかだ。これを書かずに「一部の見解」を紹介しても、情報としての価値がまったくない。

 もう頭が痛いが、先へ進もう。

 

別の事例を挙げたい。『邪神ちゃんドロップキック』というアニメがある。このアニメは人間の住む世界から無理やり連れてこられた「邪神ちゃん」が、人間のキャラクターに拷問ともいうべき過酷な暴力を受けるグロテスクなアニメである。同アニメは北海道千歳市ふるさと納税で1億円以上を集め、実際に千歳市を舞台にしたアニメが作られた。

 

 おいおい。『費用対効果の点で見ても問題が大きい』のではなかったのか? 1億円以上集められているではないか。それとも、宣材の制作やイベントの開催に1億円以上かかっており、最終的には赤字であったというデータでも手元にあるのだろうか。『本題はそこではない』のかもしれないが、読者としては話に一貫性がないと感じられる。やはり本題ではない話は書くべきでないように思われる。かえって不利になっている。

 

 実際、費用対効果、経済波及効果に関する川畑氏の混乱はこの後もずっと続いている。

 

アニメで町おこしをすれば、確かに作品のファンは訪れて一時的な経済効果はもたらされるかもしれない。しかし、エログロ表現で傷つき続ける市民がいることは一顧だにされないか、されたとしても実態より過小評価されることが多い。

町おこしとして使われるアニメは3か月で終わるものが多いことや、アニメの制作・放映本数自体が非常に多いことから、ファンもすぐ飽きて興味の対象がほかのアニメに移ってしまうことが多い。経済効果はほぼ一時的なものであるといえる。

 

 まず、『確かに~かもしれない』という文章が酷い。「確かに」という表現のあとには、確かな内容が続くべきであり、締めくくりに使われている「かもしれない」(そうである可能性も、そうでない可能性もある)という表現とは相性が悪い。

 『邪神ちゃんドロップキック』について言えば、経済波及効果はある程度計測されており(例としては、川畑氏も認識する通り、ふるさと納税1億円以上達成しているなど)、少なくともそれらについては確定した過去の事象である。『確かに作品のファンは訪れて一時的な経済効果はもたされる。』で良い。あるいは、一般論として「アニメで町おこし」が成功することも失敗することもあることが念頭にあるなら、「確かに」の方を削るべきである。未来についての予測が「確か」ではないのは私も同意する。

 

 さて『経済効果はほぼ一時的なものであるといえる。』についてだが、これについては先程の『コンテンツと地域活性化:日本アニメ100年、聖地巡礼を中心に』で反証されている。アニメの効果による雇用者増加や、アニメ放送終了後も観光客の増加が維持されている例が『らきすた』や『あの花』を例に紹介されている(付け加えるなら、『ガルパン』の大洗市もそうであろう)。

 

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  ちなみに、私が引用しているこの資料は「アニメ 町おこし 経済効果」でGoogle検索したら一番上にすぐ出てきた。入手は容易である。もし川畑氏が「1回はGoogle検索する」程度の手間を惜しまなかったら、記事の内容はそれなりに変わっていたはずだ。

 川畑氏は「エログロ表現で傷つき続ける市民が実態より過小評価されている」と憤ってみせているが、川畑氏もアニメによる経済波及効果を実態より過小評価している。というより、おそらく実態に関するデータを調べることさえしていない。そんな状態で何を言おうというのだろう?

 

エログロアニメによりできた心の傷は長期間残る可能性がある。刹那的な利益か中長期的な市民の保護か、どちらを選択すべきかは自明だろう。

以上のことを踏まえた場合、エログロを売り物にしたアニメを町おこしに使うべきではないと筆者は考える。

 

 「長期的に利益が続く場合もあること」(顕著な成功例があること)は立証済みであるため、もはや『自明』ではなくなっている。また、刹那的な利益であっても利益は利益である。そこから回収された税金は、中長期的な市民の保護(社会福祉、インフラ整備等)にも使われる。つまり、そもそも「AかBか?」という単純な二者択一問題は成立していない。

 また、短期が乗り切れなかったら、中長期もクソもない(アニメによる町おこしで経営が維持できた、それがなかったら倒産していた商店街の店などはあるだろう)という簡単な事実も都合よく忘れ去られている。

 

 総評としては、とても愚かである。全部ダメ。本当にゴミ。