神経科学的な「チーズバーガーとセックス」論の間違い~目明かし編~

 青識亜論氏の下記ツイートが発端となった一連のお祭り騒ぎであるが、神経科学的には何もかも間違っている。本記事では、「どういう流れでみんな間違えたか?」「何が間違っているのか」を明らかにしつつ、青識亜論氏の論の欠陥を指摘する。

 

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ファクトチェック~その話はどこからきた~

 『愛のあるセックスですが、快楽物質の総量はチーズバーガー2個分』『恋愛による多幸感を加味してもその量』だという主張はどこからきたのだろうか。私は青識亜論氏本人ではないので推測に頼る他ないが、Twitterでは次の記事が元ネタではないかと言われている。

 

buzz-plus.com

  とりあえず、buzz-plusの記事を根拠にして何かを主張しているなら、もうその時点で頭がおかしいが、それは各個人の考え方もあるだろうから、いったん目を瞑ることにする。

 このページでは、たしかに冒頭から『海外情報サイト『フロントライン』(英語)を読んでたら、「愛し合ったときの快感はチーズバーガー2個分!」と主張する面白いグラフを見つけた』と書かれている。

 

 しかし、この書き方は妙である。「~と主張する(面白い)グラフ」という日本語はあまり見かけない。何かを主張するのは、グラフではなく、それを読んだ人間である。つまり、「このグラフは……ということを示す」と解釈したのは誰なのかが肝心である。それがこのbuzz-plus記事の執筆者なのか、まともな神経学者なのかで全く話が変わってくる。

 

 こうなると、元ネタの元ネタである『フロントライン』の記事を確認しなければならない(私にはどうしても、buzz-plusの記事が科学的に正確な情報伝達をしているはずだという強い仮定が置けなかった)。

 Twitterで教えてもらったところ、以下のページが該当するそうだ。

 

www.pbs.org

 どうやら活字の記事ではなく、カリフォルニア大学のRichard A. Rawson教授の講義の音声録音+スライド表示ようである(ちなみにFlash動画なので、再生するには専用ブラウザのインストールが必要だった。これも教えて頂いた)。この動画では、確かに次のグラフが表示される。

 

画像

 

 頑張って英語を聞いたのだが、私の英語リスニング能力が低いせいか、何回聞いても「チーズバーガー」と発言しているようにも、「セックスは食事に比べて2倍(2個分?)の快感を与える」と発言しているようにも聞こえなかった。動画の教授は単に、「食事やセックスによって側坐核におけるドーパミン濃度は顕著に上昇する」としか言っていないように思われる。したがって、この2つのグラフを「愛し合ったときの快感はチーズバーガー2個分」と主張しているものとして読んだのは、何の専門家でもなさそうなbuzz-plusの記事執筆者である可能性が高い。

 

※【2021/04/24追記】

 読者さんからのご指摘により、ジョーク的な調子ではあるが「チーズバーガー2個分ですね」と聞こえるとのことでした。本当に私の英語リスニング能力が低かったせいのようです。上記パラグラフは私が間違えております。申し訳ありません。

 

 むろん、胡散臭いネットニュースサイトだからといって、それだけで間違いだと決めつけるのは乱暴だが、ひとまずグラフを詳しく見てみよう。

 

 2つのグラフは、ラットを対象として、側坐核(NAc)におけるドーパミン濃度の時系列変化を示している。ただし、一点だけご注意いただきたいのだが、あくまでも濃度の変化であって、量の変化ではない(さらに「総量」となると、別途計算しないと分からない)。

 左側が食事(FOOD)を摂取したときで、右がセックス(SEX)をしたときだ。

 まず食事をした場合は、摂取直後にドーパミン濃度が150%(正常時を100%としたときの比率)になっていて、その後は比較的すぐに落ち着いていくようだ。一方で、セックスの場合は、200%以上に上がり、その後もしばらく150%を超えた状態で推移している。その下に付属している棒グラフは交尾頻度(Copulation Frequency)、つまりセックスの回数のようだ。凡例を読むと、ここでいう「交尾」に該当する行為は3種類に細分化されており、それぞれマウント回数(mounts)、挿入回数(intromissions)、射精回数(ejaculation)となっている。つまり、1回だけセックスし、その後は対象のラットを単独にしてその間のドーパミン濃度の変化を追跡したのではなく、ラットを好きなだけセックスできる環境(メスに接触できる環境)に置き、その間の変化を見ていることになる(「射精」とあることから、対象のラットがオスであることは自明である)。

 

 さて。しつこいようだが、このグラフは「愛し合ったとき(セックスしたとき)の快感はチーズバーガー2個分だと主張しているだろうか? あるいは青識亜論氏が言うように、『愛のあるセックスですが、快楽物質の総量はチーズバーガー2個分』で『恋愛による多幸感を加味してもその量』と解釈できるだろうか?

 

 どちらも無理である。ラットの実験なので情緒的な意味で「愛し合っている」か、「愛のあるセックスをしている」かを確かめるのは難しいだろう。また「恋愛による多幸感」に至っては、実験上の都合から「出会って即セックス」させられているラットには多分ない。この実験は、まずオスのラットとメスのラットを壁(スクリーン)で隔て、次にそれを外してドーパミン濃度のモニタリングしている。恋愛感情を育んでいる時間はなさそうだ。

 

元の論文を読んでみよう

 加えて、2つのグラフを並べて比較していいのかという問題もある。FOODの方は『Source: Di Chiara et al』とあり、SEXの方は『Source: Fioriono and Phillips』とある。つまり、それぞれ別の研究グループが、別の目的をもって実施した実験だ。単独で「FOODとSEX、どちらがどれくらい多くドーパミンを出すか?」を明らかにした論文は少なくともbuzz-plusとフロントラインでは紹介されておらず、動画で説明している教授もそのような趣旨の発言はしていない。(※2021/04/24 追記:教授はそのように一言述べておりました。『そのような趣旨の発言はしていない』は誤りです。申し訳ありません。)

 2つのグラフについては、両方とも出典を見つけたので紹介する。

 

 FOODの方は、"Differential responsiveness of dopamine transmission to food-stimuli in nucleus accumbens shell/core compartments "側坐核のシェル/コア部位における食物刺激に対するドーパミン伝達応答性の差)という論文である。確かに同じグラフが確認できる(4つあるうちの左上)。

 

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 この4つのグラフは、「エサの入ってない単なる空箱を見せてから、エサをあげた時のドーパミン濃度変化」と「エサの入った箱を見せてから、エサをあげた時のドーパミン濃度変化」を、それぞれ側坐核の殻側(shell)と核側(core)に分けて測定した結果である。だからパターンとして4つある。もちろん、これだけ言われても意味不明だと思うので、少し説明する。

 

 まず、「脳のドーパミン濃度」といっても、脳全体のドーパミン濃度を測定しているわけではない。この実験では、「側坐核」と呼ばれる脳の一部におけるドーパミン濃度を測定している。欲求に基づいた行動や感情に関わりが深いとされる部位だからだ。

 そして、その「側坐核」は、さらに細かく「外側」(shell)と「内側」(core)の2つに分けて考えられている。同じく側坐核とはいっても、外側と内側で刺激に対する応答性や機能が異なることが知られており、このように区分するのが一般的とされる。

 

 左上のグラフは、「エサの入ってない単なる空箱を見せてから、エサをあげた時の、側坐核外側におけるドーパミン濃度変化」である。そして右上のグラフは、これと同じ条件で側坐核内側を見ている。この空箱パターンの結果を簡単にまとめれば、「ラットは、エサを予想させる要素なく(意味のない空箱を見せられてからいきなり)エサを与えられると、側坐核外側ではドーパミン濃度が大きくあがるが、側坐核内側のドーパミン濃度はあまり上がらない」である。

 そして下2つのグラフは、エサが入っていることが分かる箱を見せられてから(つまり「エサがもらえそうだ」という情報を得てから)エサを与えられている。その場合、側坐核外側のドーパミン濃度はほとんど上がらないが、側坐核内側ではドーパミン濃度が上がる。そういう結果になっている。

 

 この結果を人間の食事に適用するなら、日常生活では上2つの「空箱→唐突にエサ」パターンよりも、下2つの「エサが予測可能な箱→エサ」パターンの方を基本的に経験することになるだろう。乳幼児でもない限り、自分がおよそどういうタイミングで、どのような食事を摂取するかは予測ができている。例えば意図的にマクドナルドに行ってチーズバーガーを買って食べるような場合、側坐核内側のドーパミン濃度はほとんど上がらないが、側坐核外側では上がる」と考えるのが適切そうである。しかし、そのような状態を現した右下のグラフは、buzz-plusで採用されたであろう左上のグラフよりもドーパミン濃度のピークがやや低くなっている。つまり、チーズバーガーは、左上のグラフに基づいて期待するほどにはドーパミンを放出してくれなさそうだ。

 

 もう一つのSEXグラフのほうに移ろう。こちらは"Dynamic changes in nucleus accumbens dopamine efflux during the Coolidge effect in male rats "(雄ラットのクーリッジ効果中の側坐核ドーパミン排出量の動的変化)から引用されている。なお、引用は切り抜きであり、スライドに映っていたのは左下部分だけである。

 

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 「DA」がドーパミン濃度なので、さしあたってこれだけを見よう(DOPACやHVAは、ざっくり言うとドーパミン代謝物等であるが、別に覚えなくて良い)。交尾頻度(Copulation Frequency)は前に説明した通りである。

 この実験では、「クーリッジ効果」を検証している。クーリッジ効果とは、「オスは、特定のメス(パートナー)に性的に飽きて性欲が減退していても、新しいメスを見ると減退していたはずの性欲が復活する」という若干身も蓋もない現象である。オスのラットを用意し、Sample Number(時系列を示すと捉えて良い)で2番から「第1号のメス」と対象のオスラットが接触できるようになる。すると、とりあえずオスのラットはセックスを始め、ドーパミン濃度を急激に上昇させる。そしてマウントしたり、挿入したり、射精したりするが、時間的にSample Number 8までいくとドーパミン濃度も下がり、交尾行動も減っている。つまり、最初と比べると飽きてきている。

 しかし、13番から「Female 2 Present」(メス2号=愛人を与える)となると、ドーパミン濃度と交尾行動が復活する。それは最初ほどではなく、そこまで持続もしないようだが、確かにクーリッジ効果というのはあるようだ――というのがこの論文のお話である。

 

 繰り返しになるが、この実験に、恋愛の要素はなさそうである。「愛のあるセックス」や「恋愛による多幸感」を確認したものとは考えられない。

 

再び、青識亜論氏の発言

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  「愛のあるセックス」「愛のないセックス」のデータは見た中ではなかった。そして「快楽物質の"総量"」は検討されていない。どうしても濃度の到達点の高さ(ピークトップ)ではなく総量で考えるなら、「ある刺激(食事orセックス)を与えてから、正常状態に戻るまでの期間で放出されたドーパミン量」を合計して比較する必要がある。

 しかし、おそらくそれは無意味だろう。これは前の記事で述べたことと重複するが、ドーパミンによる快楽というのは、総量よりも、素早く高い濃度に達することが重要とされる。例えばメタンフェタミンで薬物依存になるのは、放出されるドーパミンの総量が(他のドラッグに比べて)多いからではなく、高いドーパミン濃度に『より素早く』到達するからだ(「加熱して蒸気を吸引する」という方式が、経口摂取の錠剤よりも遥かに薬物依存になりやすいのも、この「素早く」というのが大事だからである)。これは『カールソン神経科学テキスト』に詳述されているので、図書館などで参照されたい(私は持っているが、人に買わせるには些か高い)。

 となると、「セックスのほうが食事に比べてコスパが非常に優れている」「ゆえに、より好まれている」という理屈もごく普通にあり得る。まあ、そもそも「2個分」=「2倍」というのも――この「2」という謎の数値を仮に採用しても――相場が明らかでないため「2倍もあるからすごい」のか「2倍しかないからショボい」のか分からない。薬物依存のメカニズムから推察すると、どちらかといえば前者の解釈が妥当と思われる。

 

 次のような発言もあった。「チーズバーガー2個発言の主旨は?」と尋ねられ、それに答えている。

 

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 これについては、前回の記事で答えた。自己要約すると、『他者からの承認や、相互理解やコミュニケーション』でもドーパミンは放出されるため、「快楽物質で説明がつく」という理屈から完全には抜け出せない(むろん、コルチゾール等の不快系・ストレス系の神経伝達物質も重要だとか、神経網の形成状態も関わるとか、そういった話は可能だ)。

 青識亜論氏のいう「様々な喜び」も結局、快楽物質なのである。もとより、人間が快楽を感じたときに放出されている神経伝達物質を「快楽物質」と呼ぶのだから、原理的・論理的に「快楽物質ではない喜び」は存在しにくい。

 なぜか? そもそも考え方順序としてはこうである。①私たちは日常生活でも「気持ちいい」「嬉しい」「楽しい」と感じているときと、そうでないときがある。②何が前者と後者で違うのか、それぞれの時の脳をあれこれ調べてみよう。③その結果、様々な神経伝達物質の中でも、特にドーパミンオキシトシン等が増加していることが分かった。④ゆえに、ドーパミンオキシトシン等は快楽を媒介する物質(快楽物質)だろうと考えられる。これが科学的な考え方である。既存の快楽物質で説明がつかない喜びの体験が確認されたら、そのときに放出されている別の神経伝達物質が調べられ、それが「快楽物質」の列に加わることになるだろう。あるいは、新しいメカニズムを考えることになるかもしれないが、いずれにせよ脳の物理化学的変化によって説明される。

 ここから脱出して「俺は快楽で動いているんじゃない!」と示すには、快楽物質の生合成プロセスを停止させるか、その受容体を潰す(ノックアウトさせる)させても同じことが出来るかという対照実験をやるしかない。そしてそうすると、いわゆる自閉症パーキンソン病的状態になり、社会的営みは困難になることが分かっている。意図的に人の脳機能を傷つけるのは倫理に反するが、既に障害・欠損を持つ脳の人を調べれば、そうした知見は得られる。そして神経科学が測定技術の面で未発達だった頃に、まさにこの「障害・欠損を持つ人を調べる」が主な研究戦略として採用されてきて、実績を積み重ねている。

 

 「快楽だけじゃない」が、もし快楽物質とは手を切った状態でも、まだ人間が社会的に尊敬される何事かの振る舞いを維持できるという意味であれば、それはおそらくできない。私には「快楽物質だけじゃない」という、議論では相当に『頑強な』タイプの主張に属する「Aだけじゃない」論法も、今回のケースでは極めて脆弱に見える。なぜなら、私にはどうしても「両膝の骨が粉砕されていても、頑張れば歩けるし走れる」というような、神秘主義的・精神主義的主張にしか見えないからである。私たちが社会的に尊敬される振る舞いを維持するには、あるいは人間関係を良好に構築するには、快楽物質の手助けが必須である。快楽物質があればどうとでもなるとは言えないが、快楽物質がなければ何もできないか、できるにしても著しく困難になるというのは正しそうだ。

 

さいごに~これはさすがに「ない」~

【追記】配信内で、私の本記事を引用して訂正を入れてくださった。また、最近のYS氏との論争においても論文元の記述を確認し、丁寧な批判を加えていらっしゃった。したがって、以下の「青識亜論氏は、誠実・真摯でない」という評価は撤回する。(2021/05/12)

 

 私がもっとも「ゆっくりできない」と感じた発言を紹介して終わりにする。次のツイートである。

 

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 CDB氏の「チーズバーガーの2倍のドーパミンという発言は、既に十分に述べた通りただひたすら完全に間違っているが、その間違っていることを「知っています」と返している青識亜論氏も大概である。加えて『ネタばらししようと思ってました』ということは、初めの『愛のあるセックスですが……』というツイートは、そもそも「科学的に事実でないと知っていて、故意に騙した」ものだったという風に見受けられる。それは誠実・真摯といえる態度だろうか?