「ツイフェミ」という呼称の使用をやめるべきか?

Twitter神崎ゆき氏が次の提言をしていた。今回はこの提言の是非について、管見を述べたい。その際、読者諸賢も一緒になって考えてもらえれば幸いである。

 

賛否両論あると思いますが、私は「名誉男性」という呼称を批判する以上、同様に"ツイフェミ"の呼称も控えるべきと考えます。

① "ツイフェミ"は「名誉男性」と同じくラベリングに該当
② "ツイフェミ"は呼称する側も悪印象
フェミニスト側は現在「批判されてるのはあくまでツイフェミ」と放置状態

「"ツイフェミ"はTwitterフェミニストの単なる略称で"名誉男性"とは違う」と反論できるにはできますが…… まずは「名誉男性と同じく"ツイフェミ"を自称する者はいない」事、またモラルではなく損得の観点で「そこまでしてツイフェミの呼称にこだわる利点があるか」と考えた時、無いと判断しました。
(元ツイートURL)

 

私は上記のツイートに対し、引用RTで、

私は様々な差別被害や犯罪被害に苦しむ女性らをサポートする実務に従事する、立派で尊敬できる「フェミニスト」と、アニメキャラのポスターに因縁をつけて剥がすばかりが能の恫喝集団である「ツイフェミ」を分けて考えたい。これは「イスラム教」と「イスラム原理主義過激派」を分けるくらい当然。

と述べた。

 

私はある時期から「フェミニスト」と「ツイフェミ」(あるいは「表現弾圧型フェミニスト」「検閲賛成派フェミニスト」)を使い分けている。それ以前は大した意識もなく「フェミニスト」と呼び、批判していた。しかし、女性支援センターで働いているという方から、次の旨のご指摘を受け、考えを改めた。

(「次の旨の」と書いたのは、正確な引用ではないからである。原文を再発掘できなかった。さんざん正確な引用を、と唱えておいて、誠にお恥ずかしい限りである。)

 

アニメキャラのポスターを叩いている人たちと、私たちのような女性支援センター等で対応をしている人たちが「ひとまとめ」にされる『フェミニスト』という呼び方はやめてほしい。女性支援センターには、前者の自称フェミニストが生み出したと思われる「アンチ」から、嫌がらせの電話やメールが入り、業務が妨害されている。批判するにしても両者を区別してほしい。

【追記】フォロワーさんが原文を見つけてくださった。 Togetterのコメント欄でのやり取りだった。「女性支援センターで働いている人から直接指摘を受けた」という記憶だったが、これは誤認だった。

 

これ以後、少々勉強し直し、私は「フェミニスト」と「ツイフェミ」を論旨に応じて使い分けることにした。ただし、上の引用はおぼろげな記憶によるとはいえ、「ゆえに、『ツイフェミ』を使って頂きたい。」とまでは言われなかったことを申し添えておく。『ツイフェミ』という呼称の使用はあくまで私の独断である。

 

再び神崎氏の提言に話を戻そう。

 

賛否両論あると思いますが、私は「名誉男性」という呼称を批判する以上、同様に"ツイフェミ"の呼称も控えるべきと考えます。

① "ツイフェミ"は「名誉男性」と同じくラベリングに該当
② "ツイフェミ"は呼称する側も悪印象
フェミニスト側は現在「批判されてるのはあくまでツイフェミ」と放置状態

 

上記ツイートの提言には、「呼称の変更」という視点で見ると、次の2つの意味が含まれていると私は読んだ。

 

A.「ツイフェミ」という呼称をやめること。(①・②の理由から)
B.「フェミニスト」と総称すること。(③の理由から)

 

このうちAにだけ対応するという方法もある。すなわち、「ツイフェミ」を何らかの別の呼称に置き換える方法である。それならば、「検閲賛成派フェミニスト」などの呼称もあるため、私も受け容れるかもしれない(ただし、後述するが「ツイフェミ」という呼称はよく出来ている)。

Bについては現状ではあまり賛同したくない所である。前記した理由に加え、「フェミニスト」という語句の抽象度が高すぎるためだ。

 

フェミニスト」だと、人物でいえば、メアリ・ウルストンクラフト(1759年-1797年)や平塚らいてう1886年-1971年)から、それこそ現代日本で活動する「ツイフェミ」まですべて含まれてしまう。また、思想でいえば、ラディカル・フェミニズムもリベラル・フェミニズムも、その他の○○・フェミニズムも、すべて含まれることになる。

特に『古典的リベラルフェミニズム』(Classical-Liberal Feminism)が含まれるのは大変重大な問題になる。以下、スタンフォード哲学用語辞典(Stanford Encyclopedia of Philosophy)の"Liberal Feminism"より引用する。

 

古典的リベラルフェミニストは、強制的な干渉から自由になる権利は、女性の生活に強力な意味を持つと考える。女性が親密で性的な問題において自由な権利があることを意味する。これには、以下が含まれる。

性的自律性:性の売買を含む自分の選択した性行為に従事する権利。(Almodovar 2002; Lehrman 1997: 23)
・銃器の使用を含めて性的攻撃から身を守る権利。(Stevens, Teufel, & Biscan 2002)
表現の自由:検閲のないポルノに出演したり、出版したり、消費したりする権利。(McElroy 1995; Strossen 2000)
・親密な交際の自由:パートナーになったり、個人で結婚契約を結んだりする権利。(McElroy 1991a)
・生殖の自由:避妊具を使用する権利、中絶する権利(少数派のプロライフ・リバタリアンについてはTabarrok 2002: 157を参照)。

※可読性を優先し、文意を損なわない範囲で箇条書きに改めて翻訳した。強調も引用者による。英語原文は"Liberal Feminism"2.1 Self-Ownership and Women's Rightsを参照されたい。

 

特に上でも引用されているStrossen、つまりナディン・ストロッセンは著書『ポルノグラフィ防衛論』が邦訳もされており、リベラル・フェミニストとして有名である。ご存知の方も多いだろう(神崎氏はツイートを拝読する限り、ご存知である)。私は、ストロッセンやその他リベラル・フェミニストとして引用・紹介されている人々が、日本でツイフェミとして活動しているクレーマー連中と同じ分類となる「フェミニスト」呼称こそ、極力使用を避けたい。

 

フェミニスト」概念の高い抽象度は、特に批判する場合に都合が悪い。論者が「何を」批判しているのかという焦点がぼやける。論に正確を期するなら、「分けられる限りは分ける」べきなのである。分割のサイズは小さければ小さいほど良い。当然最も良いのは、ある個人の特定の発言を一字一句違わず引用し、それに対して批判することである。むろん、述べたい論旨によって拡張せざるを得ない時は拡張する。しかし、それでも「必要最小限」になるようには努める。そうすれば、隙のない、厳密な批判がしやすくなる。

 

また、「ツイフェミ」という呼称は、侮蔑的なニュアンスを含むものの、しかし、それだからこそ、よく出来ている。実際、「ネトウヨ」と同じくらいよく出来ている。一つの語句で、主に活動している場所、思想・信条、むやみに強い被害者意識と、それに伴う他者への(ほぼ理不尽としか言いようがない)加害性――これらが凝縮されている。よく出来た呼称である。

そもそも、なぜ「ツイフェミ」が蔑称として響くのか。それは、軽蔑されるようなことをしてきたからである。透けていないスカートを透けていると言い、管楽器を「男根のメタファー」と言い、巨乳は奇形だと言ってきたからである。恫喝によって同じ女性の仕事を奪ってきたからである。そんなことで尊敬される訳が無い。感謝される筈も無い。軽蔑・嫌悪されて当然である。ストロッセンらリベラル・フェミニストの議論の質や、実際に行なってきた女性支援活動とは比較にもならない。

誰にも恥じない立派な実績を積み重ねていれば、「ツイフェミ」は、たとえ蔑称として生まれようとも、尊称ともなりえたはずである。あるいは少なくとも、堂々と自称することもできたはずである。たとえば「表現の自由戦士」は蔑称として生まれたが、自負をもって「私は表現の自由戦士だ。」と言うこともできる。基本的人権のひとつである表現の自由を守るために戦う人。たいへん結構である。なぜ「私はツイフェミだ。」と堂々と言えないのか。

 

また、神崎氏からは、次の御質問も頂戴した(こうして御質問をいただけるのは非常にありがたい。こうした機会がなければ、ここまで考えることもなかった)。

 

手嶋さんは「ツイフェミ」「名誉男性」「イスラム原理主義過激派」の3つに差異があるか無いか、どのように考えますか?

(元ツイートURL)

 

 回答する。

「ツイフェミ」と「イスラム原理主義過激派」は、自らの行為の積み重ねによって生じた正当な評価(ラベリング)である。一方で、「名誉男性」は、春名風花氏、茜さや氏、くまクッキング氏等、個別の事例を参照すれば分かる通り、概して不当な評価である(むろん理論的には正当な評価でもありうる。たとえばセクハラ被害を受けた女性に対し、「ちょっとしたセクハラくらい許してあげなよ」と男性加害者側を擁護する女性がいたとしたら、その人は「名誉男性」と呼称されてもやむを得まい)。正当な評価は、その根拠となる事実が続くかぎり同じ評価を続けてよい。不当な評価は、これまでの検討を覆す新たな事実が提示されない限り、やはり不当なのだから、やめるべきである。

 

以上により、私は『自身が「ツイフェミ」呼称を続けること』と、『他者による「名誉男性呼ばわり」を批判すること』は両立すると考える。また「フェミニスト」という呼称で概括的な批判をするべきではないとも主張する。

 

――しかしながら、この私見には、非常に強力な反論(時系列的には逆だが)が既にある。ヒトシンカ氏が作成しているCensoyclopediaの『ツイフェミ』より引用する。

 

ツイフェミという用語の妥当性

 この語を使用することに意義を唱える意見がツイッター上でも散見される。

 単純に蔑称であるため使われたくないとツイフェミ自身が不快感を示す場合があるが、より本質的な問題はツイフェミと区別すべき「まっとうなフェミニスト」「本当のフェミニスト」などが本当にいるのか、という疑義である。

 ツイフェミによる炎上事件がツイッター外のメディアに取り上げられることが時折ある。が、それらを執筆・コメントしているのがフェミニストである場合、それが「社会的地位ある*2」フェミニストであっても例外なく、その炎上がいかに噴飯物の言い掛かりであろうとそれを指摘することなく、党派的に擁護する習性を持っている。その様子はツイフェミがツイッター内部で擁護し合う様子と何ら変わりない。

 これはツイフェミの言い分が正しいからではなく、明らかに間違っていても無理やりにツイフェミ側に付いているのである。典型的な事例として、小宮友根*3が、【宇崎ちゃん献血ポスター事件】でのツイフェミを擁護するため、よりにもよって【性的対象化】の概念を持ち出す記事を書いている。(炎上繰り返すポスター、CM…「性的な女性表象」の何が問題なのか

 このように「ツイフェミ」でないフェミニストもツイフェミと同程度に過ぎないのであれば、なぜツイフェミなどという語を作り出してまで「そうでないフェミニスト」から矛先を逸らす必要があるのか、という議論がある。

 実際に表現物にクレームをつける際「ツイフェミ」を名乗って抗議するフェミニストは存在しない以上、その影響力を低下させるためには「ツイフェミ」ではなくフェミニズムそのものの評価を下げることが肝要であると考えられる

*2 : ジェンダー学者のほか、フェミニズムに関連する何らかの活動家や弁護士など。

*3 : 東北学院大学准教授。社会学ジェンダー論、エスノメソドロジー/会話分析、理論社会学)

Censoyclopedia:センサイクロペディア【ツイフェミ】より

 

説得的な議論である。むろん、私は「まっとうなフェミニスト」として先のリベラル・フェミニストの何人かの名前を挙げたくなるし、日本においても、女性支援センター等で具体的・効果的な女性サポートにあたる「フェミニスト」がいるだろう。こうした人々を拾い損ねたくはない。

しかしながら、ヒトシンカ氏が述べるように、日本のフェミニスト学者の腐敗は酷く、現在進行系で被害者が出ていることを考えると、まさに喫緊の社会問題である。そうした中、私のようにゆっくりした――悠長な――細かい議論をいちいち展開していては、おそらくほぼ誰にも読まれないし、問題意識も広まらない。したがって、いまの日本における現実的な社会運動論を考え、「フェミニスト」呼称を用いた批判するのは、やむを得ないことかもしれない。

 

ゆえに、私自身は「ツイフェミ」と「フェミニスト」を区別して今後も批判を行なうとしても、真似をしろとは言わないでおく。「手嶋の主張は、厳密さは多少なりあるのかもしれないが、社会運動論としては間違っている(現実に効力を発揮しえない。無力である。)」と言われれば、素直に頷かざるを得ない面がある。

最後に、神崎氏の提言について、読者の皆様がたに改めて考えてもらいたい。

 

賛否両論あると思いますが、私は「名誉男性」という呼称を批判する以上、同様に"ツイフェミ"の呼称も控えるべきと考えます。

① "ツイフェミ"は「名誉男性」と同じくラベリングに該当
② "ツイフェミ"は呼称する側も悪印象
フェミニスト側は現在「批判されてるのはあくまでツイフェミ」と放置状態

 

上記の指摘③は、ヒトシンカ氏の議論の引用により、更に補強されたかと思う。同時に、私なりの批判も加えたつもりである。あとは読者のご判断に委ねることとする。

 

最後に、貴重な機会をくださった神崎氏に心より感謝の念を表する。誠にありがとうございました。