お嬢様のための議論講座 Part.3:実際のネット議論を検討してみますわ!

ネット議論お嬢様の皆様がた、本日も『お嬢様のための議論講座』を行なって参りますわ!

 

中35お嬢様が、ちょっと迂闊で粗忽なアンチフェミお嬢様をシバいて遊んでらっしゃいましたわ。今回はその実際の議論を通じて、「なぜアンチフェミお嬢様は簡単にシバかれてしまったのか?」を細かく解説しますわよ。

発端は次のツイートですわ。

 

 

この時点では、色々な反論が可能ですわ。『タイツメーカーが性的なPR』については、ヒトシンカお嬢様がお書きにあった『ラブタイツ』(Censoyclopedia)のURLをペタリと貼れば完全に潰せましてよ。(とても良いお勉強になりますから、リンク先は必見ですわ!)

 

けれども、このツイートに噛み付いたお嬢様は、前記の通り迂闊で粗忽だったと言わざるを得ませんわ。

 

 

なぜ、しなくてもいい無茶をしますの!?

毎回毎回同じパターンで破滅しているのですから、そろそろ学習するべきですわ。わたくしが中35お嬢様の立場だったら、このリプライがついた瞬間に「この方には勝ちましたわ。」と勝利宣言を致しますわ。

いろんな反論が出来ますけれど、今回は大きく2パターンに分けて紹介致しますわ。

 

反論パターン1:「言ってない。」

まず、引用がありませんわ。いつも指摘させて頂いておりますけれど、引用は必須ですわ。『ただし「性的」かどうかを決めるのは、自分たちの気分次第!』という文は、この時点では野良猫丸お嬢様による印象論に過ぎなくってよ。とりあえず「アツギタイツの件でクレームをつけてきたツイフェミ全体」についての印象論かしらね? この印象論が、ちゃんと正当で正確な概括であると言える根拠が必要ですわ。

 

けれど、その根拠だけではまだ足りませんわ。お相手のいる話ですから、「中35お嬢様も確実にそれに含まれる。」という根拠も別途必要ですわ。だって、想定しているグループに該当してなかったら知りませんものね。

つまり、次の2つの根拠が最低限、要求されますわ。

 

1.「自分たちの気分次第!」という印象論が正しくツイフェミ全体の性質を表しているという根拠。

2.かつ、そうしたツイフェミに中35お嬢様が含まれているという根拠。

 

確かにわたくしも、漠然とツイッターおタイムラインを眺めていると、ツイフェミらしき人々の一貫性のなさ(「自分たちの気分次第!」)は感じますわ。「同感でしてよ。そんなイメージ、ありますわ!」くらいは言って差し上げられますわ。

ですが、個別具体的な言説を引用せず、自分の中で思い浮かべたイメージに対して批判した場合、「それって、あなたがイメージするツイフェミへの批判ですわよね? 【わたくし】と関係があって?」という再反論がキツいですわ。指摘されてからの後出しでもいいですけれど、すみやかに根拠を出さないといけませんわ。

 

これは立場を逆転させてみると分かりやすいですわ。たとえばこうですわ。

「アンチフェミニストって、女性ツイッタラーにDMで猥褻画像を送信してばかりいるイメージがありますわ。最低でしてよ! あなた、最低でしてよ!」

と言われた時、「少しお待ちになってくださいまし?」ってなりませんこと? 

 

とりあえず、アンチフェミニストは女性に猥褻画像を送付する習性があるという印象論が正しい根拠と、わたくし自身もまたそんな性加害アンチフェミニストに含まれると判断された根拠を両方要求したくなりますわよね? 同じことでしてよ。

 

実際、中35お嬢様にそう返されていますわ。

 

 

『それ君が考えるフェミの主張、じゃん。』は議論として見たとき、ただ真っ当な指摘ですわ。

 

反論パターン2:類似による論証の不成立を指摘する

もう一度、初めのツイートに戻りますわ。

 

 

ここで魔女狩りする異端審問官』文革の近衛兵』が持ち出されていますけれど、それって本当に「ツイフェミのアツギタイツ批判」と類似していまして?

 

――というお話に入る前に、ひとまず野良猫丸お嬢様が使っている論証法について説明しておきますわ。

 

この論証法は「正義原則(rule of justice)と類似からの論証」と呼ばれていますわ。正義原則の意味は「同じ本質的範疇に属するものは同じ待遇を受けるべきである。」というルールですわ。

これだけじゃ意味が分からないと思いますから、具体例でお話しますわ。

 

たとえば、

「ボクシングでは体重階級制を設けて勝負を公平にしている。よって、バレーボールでも身長階級制を設けるべきだ。」

これはまさに正義原則と類似からの論証ですわ。ボクシングとバレーボールはスポーツという点で同じ(類似している)――だったら、待遇も同じにして、不公平のないような仕組みを作らねばならない、と論じる訳ですわ。

説得力のある議論の「型」のひとつですので、「正義原則と類似からの論証」という特別なお名前がつけられてますのよ。

 

野良猫丸お嬢様の話を、上の論理構造が分かりやすいように書き直してみましょう。

 

魔女狩りをする異端審問官、文革紅衛兵、アツギタイツでのツイフェミの3者は、「A(魔女・黒五類・性的表現)であるかどうかを決めるのは自分次第」としている点で類似している。そして、異端審問官、近衛兵は明らかに批判されるべき存在である。したがって、ツイフェミも同じく批判されるべきである。

 

黒五類文化大革命において、革命の敵とみなされた5種類の階層(地主、富農、反革命分子、破壊分子、右派)の人々のこと。対立する概念は紅五類(革命幹部、革命軍人、革命烈士、工人、農民)で、こちらは優遇された。お歴史のお勉強ですわね!

 

まあ、こんなところかしらね?

で、問題はこの3者に類似関係が成立するかですわ。根拠は「同じ本質的範疇に属する」という一点にかかってますから、「それらは同じ本質的範疇には属さない」とより説得的に論じられた場合は、無効化されますわ。

 

議論講座っぽいテクニカルな話題ですわね! わたくしも興奮していてよ!

 

――とはいえ、結論をさっさと申し上げると、わたくし、さすがにそれは同じ範疇にないと思いますわ。無理がありますわ。

 

だって、「性的表現かどうか」はもともと自分の主観で決めていい事柄ですし、対象も人ではなくてイラストですわ。対象として、魔女・黒五類・性的表現と並べて書いた時、「ん?」ってなりませんこと?

また、主体の方に着目しましても、異端審問官・紅衛兵・ツイフェミと並べることにやっぱり違和感がありますわ。社会的立場と現実に行使できる権限が違いすぎますわ。

 

特に、ここで問題視されている共通性は「自分の不合理な決めつけに対して、合理的な異論・反論が加えられても誤りを認めないこと」あたりでしょう? それだけの条件なら普通に「偏屈」「頑固」「狭量」あたりでいいんじゃないかしら。いきなり異端審問官や紅衛兵まで飛びますの? 

 

少なくとも「(判断の結果として)人々を虐殺するか、しないか」という特徴の有無は、ふつうは相当の「本質的なレベルでの違い」と判断されるはずですわ。

 

加えて、虐殺の有無の違いを無視して、なんとか「同じ本質的範疇に属する」と言うにしても、次の条件を充たすかどうかが問題になりますわ。

 

1.ツイフェミお嬢様は「アツギタイツの広告が性的表現であること」が合理的に立証できていない。(「魔女」と同じく不当な言いがかりである。)

2.それにも関わらず、ツイフェミお嬢様は不合理に(正当な理由なく)撤去を押し付けている。(「魔女」とみなした者を処刑している。)

 

1をツイフェミお嬢様の立場から覆すのは簡単ですわ。問題のアツギ広告イラストに「エロエロですわね!」という趣旨でツイートしたお嬢様を、片っ端から「当該イラストを性的だと捉えた実例」として引用しまくればいいですわ。おツイッターの多様性ならきっと楽勝でしてよ。「ごく特殊な感性をお持ちのお嬢様だけのこと」と抗弁するにはキツい数くらいは集められると思いますわ。

そうすると、やっぱり類似関係が成立しなくなりますわ。「不当な言いがかりか、そうではなく正当な評価か」は明らかに「本質的なレベルでの違い」ですわ。

 

まとめ

今回の件から導き出される、ネット議論における「ありがたい教え」は次の通りですわ。

 

1.引用無しに印象論を述べても、論敵には楽々と逃げられてしまいますわ!

2.「正義原則による類似からの論証」を使うなら、「類似性」は慎重に検討するべきですわ!

 

お嬢様力の向上のために、わたくしも気をつけて参りますわ!