お嬢様のための議論講座 Part.4:Dランクお嬢様に求められる読書量について

ネット議論お嬢様をA~Dの4つにランク分けした記事で、わたくしは次のように申し上げましたわ。

 

最初にごめんなさいと謝っておきますわ。Dランクお嬢様は、はっきり言って「論外」のランクでございましてよ。いつもとても乱れた日本語を記述していらして、相手の論はまともに読めていませんわ。必然的に質疑と応答の対応関係もズレてしまって、議論はいつもめちゃくちゃになる――そんなランクですわ。

そんなDランクお嬢様がネット議論に強くなるには、小手先の議論テクを知ったり、議論の実戦回数を重ねたりするよりも、インプット量(読書量)を増やすことが最優先ですわ。

生まれてから今までに読んだ活字本(エンタメフィクションを含まない、ある程度「お堅い」内容の本ですわ。新書は含めて頂いても結構ですわ。)が300冊未満のお嬢様は、何をどう頑張ってもまともな議論は出来ませんわ。残酷な世界の理ですわね。

ネット議論お嬢様のためのランク別「議論力」向上法 - 手嶋海嶺のゆっくり生活(ネット議論・日常生活)

 

こちらに対して、てんこお嬢様から次のおコメントを頂戴しましたわ。今回はこちらにお返事しながら、Dランクお嬢様へもっと詳細なアドバイスを提供いたしますわ。

 

ランク分けにはおおよそ異論ございませんわ。引っ掛かったのはアドバイスの方ですわ。例えばDランクお嬢様のことですわ。手嶋様は「活字本を300冊くらい読んできてくださいまし」と仰せですわね? 申し訳ありませんけれど、お嬢様への理解が足りておりませんわ。「強くなりたい」という強い目的意識を持つことが出来て「そのためなら300冊くらい軽く読んでやる」、なんて骨のあるお嬢様がDランク帯にいるとは思えませんわ。恐らくこのランク帯のお嬢様は読書が大変苦手でいらっしゃって、文字にまったく慣れていないお嬢様たちですわ。・・というか、少々読めたって300冊も読めるわけありませんわぁぁあああ!?
(中略)
改めて振り返ると、当ご記事のターゲット層は強くなりたいと思っている(少し言い換えてますわ)ネット議論初心者お嬢様ですわ。でしたら遠回りして本など読ませずとも、素直に過去の議論集を見て貰えば良いのですわ。

(同記事、コメント欄:てんこ様)

 

※たくさんの論点をいただきましたから、今回すべてを取り上げることは叶わないのですけれど、読者の皆様には、ぜひ一度、記事のコメント欄で全文を読んで頂きたいですわ。

 

先に結論から述べますと、活字本を読みながら、「過去の議論集」というのも読めばいいですわ。ともあれ、片方を採用するともう片方は採用できなくなるという問題ではございませんから、何でもやってみるのはいいことでしてよ!

 

ただ、わたくしとしては「多読」のメリットを少し入念に述べさせて頂きますわ。また「過去の議論集を読むこと」の問題点も後ほど改めて指摘しますわ。

 

なぜ「300冊」なのかを説明しますわ!

大きな目的は、ネット議論お嬢様の議論力を強化すること。それで合っていましてよ。そして、議論力は当然ながら「読み書きの力」で構成されていますわ。これを鍛えるには多読が最も良く、ひとまず300冊くらい読むのがよろしいでしょう――これがわたくしの主張ですわ。

 

この「300冊」という数字は、もちろんザックリしたものですけれど、まったくの無根拠という訳でもありませんわ。宇佐美寛お嬢様(80代, 男性)が『大学の授業』という著書で次のように仰っていたのを参考にしたのですわ。

 

 ところが、学生の社会的経験はまだきわめて貧弱である。また、読書もろくにしていないから、他の人の経験を文章によって知るということも少ない。要するに無知であり、頭の中にろくに貯えがない状態である。しかも、なお悪いことに、学生は自分がいかに無知であるかを自覚していないし、したがって無知を克服しようという努力もしない。要するに怠惰なのである。
 このような無知・怠惰な学生たちに対して講義などしてはいけない。「講ずる」という方法に合うような抽象的・包括的な言葉を一方的に長時間与えていたら、学生はなおたるむ。受身になる。講義の言葉がどんな事実に対応しているかがわからない。なにしろ、対応させようにも、そのための事実の知識の貯えが無いのである。
 講義などせず、おおいに本を読ませねばならない。
(中略)
 学生には、「これを含めてもいいが、とにかく一年に少なくとも百冊読みなさい。わずか百冊も読まないような者は学生扱いする気がしない。」と言う。一年に百冊は三日に一冊弱だから多くてたいへんなような気がするかもしれない。しかし、読みなれると速く読めるようになる。たいした冊数ではない。

大学の授業 | 宇佐美 寛 |本 | 通販 | Amazon

 

わたくしは「生まれてから今までに読んだ活字本」と言いましたわ。年単位の区切りではありませんから、とりあえず100冊より多いのは当り前ですわ。また、宇佐美寛お嬢様はこれを大学の新1年生に仰ったのだし、大学は普通は4年間ありますわね? したがって、初めは「年100冊 x 4年 = 400冊」と言おうと思ったのですわ。

けれど、厳しい気がしましたし、そこは多少割り引いてさしあげることにして、キリ良く「300冊」としましたわ。今でも我ながら良い線いってると自賛してましてよ。

 

――ただ、「エンタメフィクションを含まない」は考えてみると余計でしたわ。自然な日本語を読み書きできるようになるのが第一目標ですから、含めてもいいですわ。でも100%フィクションなのはやっぱり困りますけれど。理由は次に述べますわ。

 

「多読」による知識の獲得が大切でしてよ

これは最初の記事で述べなかったので後出しになりますけれど、多読には「読み書きの力の向上」に加えて、「知識の獲得」というとても重要な役割がありますわ。本をあまりお読みにならないお嬢様は、そもそも議論できるテーマやジャンルを持っていませんの。常に「いっちょがみ」にならざるを得ず、十分な議論は出来ませんわ。

 

たとえば、私は「釣りのやり方」「お魚の種類やそれぞれの特性」について何も存じ上げませんわ。したがって、「釣りについて」の議論には参加できませんわ。

私は「反論のやり方」は他のお嬢様に比べても異様かつ無駄なレベルで知っている自覚はありますから、相手の論の欠点をなにか1つでも突く――それくらいは出来るかもしれませんわね? でも、それだけですわよ。

釣りに関して「正しくはこうですわ!」とは言えませんし、「なぜ間違いか?」も論理構造の次元でしか説明できませんわ。つまり、肝心要の中身・内容に関しては、まるきりノータッチにならざるを得ませんわ。

 

先程の宇佐美寛お嬢様も、「討論」について、ご自身が弁論部に所属していらしたご経験から『内容の勉強をしないで弁論だけ鍛えるなどということは不可能なのである。』(前掲書, p.221)と書いておりますわ。この見解に私は心より同意いたしますわ。

本を読まないネット議論お嬢様がたにお尋ねしますわ。

あなたたちは、一体『何について』お話しするつもりでいらっしゃるのかしら?

 

たとえば「表現の自由」についての議論に、たかが関連書籍の一冊さえ読まずに参加しようだなんていうのは、わたくしからは全く愚劣なナンセンスに見えますわ。もちろん、Wikipediaの記述と相手の論で違う箇所を探すなんていう些末な事務作業は、ヤフコメに一行批判を書くばかりが能の下々の者に任せておけば十分でしてよ。立派なお嬢様を志すあなたは、その時間で一冊でも多く本を読むのですわ!

 

改めて振り返ると、当ご記事のターゲット層は強くなりたいと思っている(少し言い換えてますわ)ネット議論初心者お嬢様ですわ。でしたら遠回りして本など読ませずとも、素直に過去の議論集を見て貰えば良いのですわ。

(同記事、コメント欄:てんこ様)

 

議論に強くなりたいなら、本を読むのは決して『遠回り』ではなくってよ。『過去の議論集』もそれはそれでお勉強になってよろしいけれど、「論法」ではなく「中身の知識」を獲得するには、本が依然として格別に優れていますわ。

 

議論力の向上はそれで十分でして?

 

さて。てんこ様は次のようにも述べておりますわね。

 

さて、方針が決まったところで次は議論解析のコツのお話ですわ。議論の棋譜を探す場所は、今ならTogetterまとめでございましょうかしら(余談ですけれど、一昔前のBLOGOSが個人的には理想郷でしたわ)。コメントもある程度盛況のようですわね。意識するポイントとしては、①主張を短く言うと何? ➁その目的は? ③基準(尺度)は何を採用なさったの? ④根拠はどの程度おあり? このたった4つだけで良いのですわ。基礎を考えるという意味においては、議論の型はそこまで多くございませんわ。書く時もこれを意識していれば、多少日本語が不十分でも論自体が崩れることはそうありませんわ。先にご紹介されてたBランクお嬢様ですら、これの一部が出来ていないという指摘が通せるほどでしてよ。たった4つ意識するだけでも、練度を挙げれば十分に上位お嬢様まで通用しますわ。

・・ちなみにものすごく偉そうに書いておりますけれど、きちんと白状しておくと、これら(特に②~④)を発見して丁寧に記事にまでなさっているのは手嶋様ご自身ですわ。どなたか読んでくださっているのかどうか分かりませんけれど、折角なのでリンクを貼ると下記3点ですわ。全部マジで最の高ですわ。ここは本当に読んでいるだけでランクが上がって行きますわ。手嶋様は300冊読破のお勧めよりご自身のブログをご紹介なさったほうがよろしかったのではなくて?

1.目的と手段の相性という考え方/議論で「ゆっくりする」ためには - 手嶋海嶺のゆっくり生活(ネット議論・日常生活)

2.主張には、根拠が要る。 - 手嶋海嶺のゆっくり生活(ネット議論・日常生活)

3.【ゆっくり日記】「正しさ」に関する基礎的理解/ゆ虐に見る権力闘争 - 手嶋海嶺のゆっくり生活(ネット議論・日常生活)

 

①~④を意識するのは大変素晴らしいことと思いますわ。また、わたくしの記事をお褒めいただいて、とても恐縮ですわ!

 

けれど、『300冊読破のお勧めよりご自身のブログをご紹介なさったほうがよろしかった』とは思いませんわ。3つの記事は、いずれも議論の基礎構造について述べたものですから、基本的に「一般化した抽象論」ですわ。

 

もちろん、抽象論といっても、読者お嬢様の役に立つ内容にはしたつもりですわ。ですが、それが「あるある!」「役に立つ!」と思えるのは、現実の事例を沢山ご存知の特別な読者お嬢様だけですわ。

まさにここでも、宇佐美寛お嬢様が指摘した『講義の言葉がどんな事実に対応しているかがわからない。なにしろ、対応させようにも、そのための事実の知識の貯えが無いのである。』という問題が作用するのですわ。

たしかに、わたくしの記事で扱ったテーマは「議論の方法」でした。この場合の「知る手段」は、てんこ様の仰るような「過去の議論集を読む」でも良いですわ。実際、一番良いかもしれませんわ。ただ、議論のテーマが「議論の方法」そのものであるというのは、ぶっちゃけかなりのレアケースですわ!

 

やっぱり、読書は必要でしてよ!

 

余談としての先日のお話でしてよ!

知識が議論にとってどれくらい重要かを、補足説明しますわ。

先日の記事では、魔女狩りの異端審問官」が出てきましたわね。わたくしは魔女狩りの異端審問官」と「アツギタイツ騒動のツイフェミ」は同じ本質的範疇には属さないという論を述べましたわ。

この点を丁寧に論じるのが趣旨ではなかったから省きましたけれど、当初はもっと細かく書く予定でしたわ。というのも、『魔女狩り』については、わたくし数年前の時点で関連書籍を読んでいるのですわ。次の3冊ですわ。

 

www.amazon.co.jp

www.amazon.co.jp

www.amazon.co.jp

 

たかが3冊でドヤるつもりはありませんわ。ですけれど、私は『魔女狩り』について、Wikipedia斜め読みお嬢様なんかよりは、遥かに詳細かつ緻密な議論が展開可能ですわ。たとえば、魔女狩りが発生した社会的・文化的背景、実際の異端審問の記録文書、異端審問で使われる「審問」の実務マニュアル、犠牲者となった方の悲痛な声(処刑直前に家族あてに遺した手紙が複数残っていますわ)、処刑の実態といった諸々の知見は引用して論じられますわ。

 

ええと、「アツギタイツ騒動のツイフェミは、魔女狩りの異端審問官と同じ」でしたかしら?

よく言えましたわねぇ……。立派なものですわ。心臓が強いですわ。あなた、歴史クラスタお嬢様が怖くないんですの? ゆ虐クラスタお嬢様の私でさえこの程度の知識はあるのに、向こう見ずにも程がありますわ!

 

f:id:Teshima_Kairei:20210520211837j:plain

 

論敵が無教養だとは思わないほうがいいですわ。そもそも特に魔女狩りなんて、いかにもそんな話に無駄に詳しい「特殊お嬢様」が生息していそうなジャンルに踏み込むのは危険ですわよ!(私は3冊分の知識しかありませんから『詳しく』はないですわ。歴史クラスタお嬢様に惨殺されますわ。)

 

あと、ついでに言えば、魔女狩りの異端審問官と、文化大革命紅衛兵は同じ」という類似論法でも崩せますわ。文化大革命・上下巻』『毛沢東の大飢饉』『文化大革命五十年』『文化大革命に到る道―思想政策と知識人群像』くらいはお部屋の本棚にありましてよ。

 

 お嬢様は、読書を嗜むものと昔から決まっておりますわ! 私もまだまだ足りないでしょうから精進いたしますわ。一緒に頑張っていくのですわ!