新シリーズ「ゆっくりぱちゅりーのTwitterおさんぽ」 Vol.01 手始めに質問にゆっくり答えるわ!

 

ネット議論お嬢様シリーズではお嬢様文体を使ったから、新しいこの「ゆっくりぱちゅりーのTwitterおさんぽ」シリーズでは、ゆっくり文体を使うわ。

 

ぱちぇはぱちぇよ! ゆっくりしていってね!!!! 

 

※ゆっくり小説の典型的世界設定において、「ゆっくりぱちゅりー」の一人称は「ぱちぇ」です。

 

さて。企画はしていたものの、どのネタでこのシリーズを始めるか迷ってたのだけれど、幸いにも……と言うと失礼かしら……ゆっくりしたフォロワーさんから御質問を頂戴したわ。こちらにぱちぇなりにお答えすることで、このシリーズの第一弾とさせてもらうわね!

頂いた質問はこれよ!

 

今日色々あって、恐らく私が女性蔑視をしているであろう事を知りました。
「社会は女性に甘く、男性に厳しい」といった感じの内容です。
私の中では男女平等で物事を考えているつもりだったので、無自覚でそういう思考になっていたんだと思います。

手嶋さんはブログやツイートで批判をしておられ、私が見た限りでは中立の立場で物事を考えられる方であると認識しております。
そこで、例えば「男A対女B」のような話があった時、中立の立場で物事を考えるにはどうしたら良いのか、教えて頂きたいです。

https://twitter.com/abura_face/status/1414983266717769734

 

手嶋海嶺を褒めてもらえて嬉しいわ。そう、まるでぱちぇ自身のことかのように、とても嬉しいわ。
それにしても、なんだか意識の高いことでお悩みね? でもたぶん、ぱちぇが明晰にお答えすることが可能なテーマだわ。

 

まず、とりあえず「中立の立場で物事を考えるにはどうしたら良いのか」がメインの御質問よね? なるほどだわ。ええ、難しいわよね、中立思考。

 

なにしろ、ぱちぇも中立思考なんてやってないくらいだから。

 

――って、いきなり突き放すようだけれど、ちゃんと理由があるからゆっくり聞いてほしいわ。

 

そもそも「中立であること」って、特に正しいワケでも何でもないのよ。

「中立」って、単に「ある問題(物事)について2つ以上の対立する意見があるとき、そのいずれにも与していない状態」よね? まあ問題によって中立が正しいこともあるでしょう。けれど、間違っていることも多々あるわ。例えば、血液型性格診断には肯定派と否定派がいるけれど、だからといって「中立」を選ぶのが正しいのかっていうと、なんか、そうでもないじゃない? それに「中立」=「公平」でもないのよ。(でも、どちらかといえば、「公平に考えるにはどうしたらいいか?」と質問されているのかしら?)

 

加えて、ここが一番大事なのだけれど、質問主さんは順序を間違えているわ。

冷静に考えてみましょう。

 

普通、「色々と調べて考えた結果として、どの立場(肯定・中立・否定)を採るかが決まる」のであって、「どの立場を採るかを先に決めておいて(中立にする)、それに合うように考え方を調整する」のは「違う」でしょう?

 

質問主さんは、前者ではなく後者をやろうとしちゃってるように見えるわ。そういう風に「結論ありき」で物事を考えていると、Twitterを徘徊しているネット議論お嬢様に「えいえんにゆっくり」させられるわよ。

ぱちぇとしては、正しい順序で考えるのをオススメするわ!

 

次にいきましょう。

質問主さんは、その前に「男女平等で物事を考えているつもり」と言っているわね? これもぱちぇからすると、「そんなことできる?」って思ってしまうわ。というのも、「男女平等」は物事を考える方針として「あやふや」すぎるからよ。

 

質問主さんが仮に会社にお勤めだとして、もし社長さんが「みんなから愛される会社を目指そう!」なんて方針を打ち出したら、困ってしまうでしょう? 何をどうしたらいいのかしら。「みんな」っていうのは誰かしら。まさか本当に全人類? それともある程度の優先順位があるの? 「愛される」も何を基準に判断するのかしら。うーん……ってなってしまうわ。

一方で、「売上を増やそう!」だったら社員さんたちも分かるわよね。たぶん新規の顧客を開拓したり、魅力的な新商品を開発したり、マーケティング戦略を練って広告を打ったりすればいいんだろうって。そして、実際に採った行動が良かったか悪かったかも、売上の推移をみれば分かるわ。「売上増だから前進してるなあ。」とか「ああ、しまった。後退してる!」とかね。じゃあPDCAを回しましょう、KPIを定めましょう、というお話にできるわ。

 

 で、「男女平等」よ! 平等って言っても色々あるわよね。機会平等? 結果平等? たとえば、アファーマティブ・アクションはやったほうがいいのかしら。それとも、やってしまうと逆差別になるという御意見で、むしろやるべきではないとお考えかしら。

あと本当に「男女」でいいの? 年齢や収入や能力その他の要素は気にせず、「男女」という軸で評価したときに「平等」であればいいの? それとも、必ずしもそうでもない?(ちなみに「すべての軸に対して平等」は理想だけど現実的には不可能だと思うわ。)

ぱちぇがもし「男女平等を方針として物事を考えてください。」と言われたとしたら、端的に「無理。」とお返事するわ。だって、分からないから。

 

敢えて方針として「男女平等」を掲げたいなら、せめてより小さな目標に「分解」して立て直す必要があるわ。

 

要するに、「みんなから愛される会社を目指そう!」という正直よくわからない方針を、顧客満足度を上げる。②社員の離職率を下げる。③地域住民の好感度を高める。④……みたいな感じで「分解」して、「具体的・現実的に取り組める方針」にまで抽象度を下げるのよ!

 

質問主さんの御質問を拝読していると、抽象度を下げるどころか更に上げる方向で考えてるようだから、そこが問題だと思うわ。「男女平等で考える」→「そのために中立思考で考える」→「中立思考をするコツがあれば……」って流れ、これ完全に抽象度を上げる方向よね?

スタートの「男女平等」の時点で既にかなり抽象度が高くて、「そもそも平等とは何か?」というとても厄介な問題を抱えているのに、さらに「思考法」のレベルまで格上げしたら、本当に何をしたらいいか分からなくなるわよ。

 

同じような「抽象度を上げてしまうクセ」は冒頭から出てるわね。ちょっと質問文と距離が開いちゃったから、もう一度引用するわね。

 

今日色々あって、恐らく私が女性蔑視をしているであろう事を知りました。
「社会は女性に甘く、男性に厳しい」といった感じの内容です。
私の中では男女平等で物事を考えているつもりだったので、無自覚でそういう思考になっていたんだと思います。

https://twitter.com/abura_face/status/1414983266717769734

 

「社会は女性に甘く、男性に厳しい」も抽象度が高いわ。どういう基準で「厳しさ」を判定しているのか分からないもの。それなのに、この主張をした理由として、さらに抽象度が高い「女性蔑視があった」に繋げているわね? そうではなくて、「厳しさ」を分解して、たとえば「日本社会では、女性よりも男性のほうが自殺率が高く、過労死しやすく、幸福度も低い。」とかにまで抽象度を下げるべきだったわ。これだったら、蔑視も何も、単に事実の問題でしょう?

もちろん、女性は女性で、男性とは異なる厳しさがあって――という話にもなるでしょうけど、それはそれで新たに基準を明確に立てて、別個に議論すればいいのよ。(総合判断でどちらがより厳しいか、も考えたければ考えればいいわ。ただ、基準の作り方が下手だとジェンダーギャップ指数みたいになってしまうけれど。)

とにかく、女性蔑視思想を反省するより、問題を細かく砕いて、論点を明確化した方がずっとゆっくりできると思うのだけど、どうかしら?

 

そこで、例えば「男A対女B」のような話があった時、中立の立場で物事を考えるにはどうしたら良いのか、教えて頂きたいです。

https://twitter.com/abura_face/status/1414983266717769734

 

「中立」で考えるという部分はすでに批判したから、別の点でいうと、「「男A対女B」のような話があった時」は、ぱちぇなら、たぶん普通に双方の要望を聞いて、妥協できる着地点(解決策)を探すわ。

現実にあるそういう状況って、まさか「男A」や「女B」という抽象的な存在と相対しているのではないでしょう? 具体的な特定個人としての「田中太郎さん」や「山田花子さん」がいるのよね。だったら、その人は「性別」以外にもたくっさんの属性(年齢、学歴、収入・貯蓄、能力、会社での役職、趣味嗜好、出身地、宗教……)を持っているはずよ。それなのに、「とにかく男と女で対立しているのだから、男女平等という観点で中立な提案をすれば、うまくいくはずだ。」と、"もし"考えているのなら、それはあんまり上手くいかないと思うわ。

加えて、仮に本当に性別による対立だとしても、対立している意見の中身と、当人の個別的な価値観なんかによるから、「性別による対立を解決する一般的思考法」みたいなものは提案しにくいわ。

いえ、もっとはっきり言うと、不可能だと思うわ。

中立思考を目指すというか、双方の「どうしても譲れない要望」と「最悪妥協できる要望」を聞き出して話し合う(すり合わせる)、じゃダメなのかしら? 一般的に答えられるのは多分ここまでよ。

 

回答としては以上だけれど、ついでだから「蔑視」と「(男女)平等」に関して私見を述べておくわ。

 

そもそも「蔑視」して、あるいは「蔑視」されて、何か悪いことあるかしら?

 

人はそれぞれ、自分なりの価値観で他人を尊敬したり軽蔑したりするものよ。ぱちぇも職場で、「機械類のトラブルを解決できるステキなゆっくり」として尊敬のまなざしを受けることもあれば、「オタク趣味で恋ゆんのいない独身ゆっくり」として蔑視されることもあるわ。

でも、それが何なのかしら? まったくもって、好きに思ってくれて構わないわ。

ぱちぇはぱちぇで、自分なりの価値観で「この人はすごくゆっくりしているわね!」と尊敬することもあれば、「こいつは本当にゆっくりしてないわねぇ……」と軽蔑することもあるのよ。考えてみれば勝手な話だけれど、特にそれで生活に支障がなければ、いちいち「改善」しようとは思わないわね。せいぜい名誉棄損罪や侮辱罪に該当しないように気をつけてるくらいよ。

 

「(男女)平等」についても、実生活、それこそ職場や家庭のレベルで考えてみると、「平等にすること」=「その場の人々にとって望ましいこと」ではなかったりするのよね。

例えば――さっきも言ったけれど――ぱちぇは職場の中で相対的に機械類トラブルを解決するのが得意だし、外部との交渉事も「それなりー」の自負があるわ。実際、そういう仕事は基本的にぱちぇに回ってくるのよ。ぶっちゃけてしまうと、ぱちぇの職場の女性は機械トラブル対応と交渉対応がすごく嫌いみたいで、悪くいえば押し付けられてるわ。

ただ、ぱちぇの方も、細かい作業(書類の不備チェックとか)はすごく苦手で、そこは女性陣にやってもらってるのも事実よ。これについては、悪くいえば押し付けてるわね。

 

こんな感じだから、少なくとも外形的にはかなり「不平等」かつ「不公平」な状態だと言えそうね。だって、「同じ部署の同じ役職の社員同士」なのに、業務の種類によって誰が負担するかが偏ってるもの。「女性社員といえば、お茶くみとコピー」の世界にちょっと近いと言われても、否定はできないわ。(ぱちぇのやっているような仕事がやりたいと女性社員から希望があれば、もちろんやってもらうから、機会平等を奪ってはいないし、また「対等な関係の中で合意された不公平は、不公平ではない。」という考え方もあるでしょうけど、このへんは「真の平等・公平とは何か?」の難しい話になってくるから棚上げするわ!)

ともあれ、ぱちぇとしては、特にそれで不満がないなら、無理に「平等化」「公平化」する必要はないと思うのよ。不平等・不公平だからこそうまく回っていて、みんな「自分の仕事はラクだ。」と思いながら過ごせるのよ。この「しあわせー!」は壊したくないわね。

ぱちぇの実生活レベルでの「平等」は、あくまでも身近にいる個別具体的な人々を幸福にするための「手段の一つ」よ。とりわけ不平等にしておくほうがみんなが幸福なら、ずっと不平等にしておくわ。

たとえ、女性陣がぱちぇのことを「不注意で不器用なゆっくりだ。」と蔑視していて、ぱちぇが女性陣を「こんな簡単な機械トラブルも解決できないのか。」と蔑視していてもね。そんなことはどうでもいいの。(自分が不在時でも何とかトラブル対応できる程度の教育はしておかないといけないとかはあるわ。)

平等化・公平化するのは、そうしないことで不満が生まれている時だけでいいわ。それとも、あくまでも平等・公平それ自体を「達成されるべき目的」と考えるかしら?

 

 

……と、こんなものかしらね!

色々書いちゃったから、まとまりの悪い部分もあるかと思うけど、何かの参考になれば幸いよ。「ここがわからない。」「ここは間違っていると思う。」もバンバン言ってくれて大丈夫よ! むきゅ!

 

それじゃあ――ゆっくりしていってね!!!!

 

キャラ設定「パチュリー」 | α Romeoの不定期裏話