ネット議論お嬢様 Part.9:「この指とめよう」という茶番に対する"tu quoque"

「この指とめよう」に集まった「おまいう」

今月、一般社団法人「この指止めよう」が、SNSでの誹謗中傷を止めるための広告企画を発表なさいましたわ。それと同時に、団体の構成員・関係者も明らかにされました。

 さて。「ある団体が、SNSで誹謗中傷を抑止する活動をするらしい。」「その活動に関わる人々はA氏、B氏、C氏……であるそうだ。」という2つの情報さえ分かったら、おネット議論クラスタのお嬢様たちが必ずやることがありますわね?

ええ、そう。――――『おまいう』(お前が言うな)要素探しですわ。

誹謗中傷をするなと人に説教を垂れるその口で、かつて誹謗中傷をしてはいなかったか? またその誹謗中傷について、謝罪も反省もなく未だに放置してはいないか? これらは当然、問われることですわ。発言者は誰であれ、自分の過去の言動に責任を持つべきですわ。

 

というわけで、今回のテーマはこの『おまいう』でしてよ!

 

《偽善の抗弁》 tu quoque

とはいえ、『おまいう』は、気品あるお嬢様が使うには少々相応しくないネットスラングですわね? 修辞学(レトリック)のちゃんとした用語に直しますと、これは『偽善の抗弁』(tu quoque)と言いましてよ。tu quoqueはラテン語で、直訳するなら「あなたもだ」という意味ですわ。「おまいう」とほぼ一緒ですわね。また、ラテン語由来という時点で、とても昔からある論法ということが分かりますわ。まあ記録が残っていないだけで、たぶん旧石器時代でも使われていたでしょうね。

例えば、「どうしてもっとイノシシを狩ってこないんだ? しっかりやれ!」と、ぜんぜん狩りの成果がない人から言われたら、さすがの原始人も「てめえも狩ってこれてねえだろうが!」くらい言い返したはずですわ。まさしく『偽善の抗弁』ですわ。

ただ、この『偽善の抗弁』は、長いこと誤解にさらされていましたの。修辞学の領域でもある時期までは詭弁の一種に分類されていましたわ。というのも、『偽善の抗弁』は相手の主張を直接否定できる訳ではないからですわ。例えば、Wikipediaでも当該論法は次のように詭弁(誤謬)の一種として説明されていますわ。

 

お前だって論法(引用者注:『偽善の抗弁』の別名)は、次のようなパターンをとる。

人物Aが、Xを主張する。
人物Bが、Aの行動や過去の主張などは、主張Xに沿ったものではない、と主張する。
したがって、主張Xは誤りである。

このような例として次のようなやりとりが考えられる。

ピーター:ビルは税金を騙し取っている。
ビル:お前だって未払いの駐車料金が20件もあるくせに、よくもそんなことが言えたもんだ。

相手の道徳上の性格や、行動は、一般的に議論の論理性とは無関係であり、これは誤謬である。この手法は、燻製ニシンの虚偽を用いた戦術でしばしば用いられる、人身攻撃論法のひとつであり、そこではなんらかの主張なり議論が、それを唱えたり、支持したりする者に関する事実によって拒まれることになる。

『お前だって論法』(Wikipedia)

 

「誤謬である。」とばっさりですけれど、あの、普通に考えてくださいまし? ピーターは未払いの駐車料金をさっさと払うべきですわ。「ふっ……誤謬だな! はい論破!」ではないですわ。何を開き直っていますの?

確かに、純粋に論理的に考えた時、『偽善の抗弁』を相手の主張を否定することに使うのは間違いでしょう。実際、相手が駐車料金を滞納しているという事実を指摘しても、自分が騙し取った税金を返さなくていいということにはなりませんわ。

けれど、この論法が批判の対象にしているのは、そもそも発言内容ではなく、発言行為(態度)ですの。他人の悪は口やかまし咎めるのに、自分が犯している同種の悪については知らん顔をしているという、その不公平で矛盾した態度を問題にしているのですわ。

上の例で、なるほどピーターは「ビルは税金を騙し取っている。」と時系列的には先に指摘しています。けれど、それはたまたま先に口を開いたのがピーターだったからに過ぎませんわ。

偶然生じた順番で議論に応じなければならないというルールは無いのですわ。というより、そのようなルールを作るのは、建設的な議論をかえって阻害しますわ。だって、とにかく「先出し」さえすれば、自分ですら解決できない(解決していない)問題でも、一方的に相手だけに説明責任をなすりつけられるルールでしょう? そうであれば、わたくしも一切の自省なく、他人の粗探しだけしますわよ。「お前はどうなんだ?」と言われても、「それは詭弁だ!」とはねつけていればいいのですわよね。

『偽善の抗弁』をその論理構造だけで詭弁と判定するのは、自分のことを棚上げして他人ばかりを責める、お排泄物系お嬢様に不必要かつ有害な特権を与えるだけですわ。

 

それに、どちらが先に自己正当化の答弁をしなければならないかと言えば、それはむしろ「払うべき金を払っていない」という問題を持ち出してきたピーターの方ですわ。ピーターの側が問題意識をもって指摘したのですから、その問題意識がきちんと首尾一貫していて、決して恣意的で一方的な非難ではないことを、まず説明しなくてはなりませんわ。いわば、ピーターは議論の場に立つ資格が問われているのですわ。

もし、ピーターが「駐車料金を払わないのは、金に困っていたからだ。」という論で駐車料金の未払いを正当化するとしましょう。それなら、ビルも「俺もそのとき金に困ってたんだ。」と同じ根拠を(使えるなら)使って正当化できますわ。あるいは、ピーターも一応のところ反省はしつつ、「その時は金がなかったからやむを得ず滞納したが、今月中には駐車料金を払うつもりだ。」と言ったら、ビルは「なるほど。支払いまである程度の準備時間は見てもいいと君は考えている訳だ。ならば私も今月か、来月には騙し取った税金を返そう。」と言えますわ。

お互いに共通した問題については、先に問題を提示した側が、自己正当化または反省・謝罪の答弁をしてルールを確定させる。次にそれに応じる形で相手が答弁する。これこそ、公平で正しい議論の順序というものでしょう。(「税金を騙し取る」と「駐車料金の未払い」が共通の問題といえるのか怪しい気はするのですけれど、便宜上、共通しているものと仮定して扱いますわ。これはWikipediaの例示が悪いと思いますわ。)

自分が抱えている同様の問題についての説明はこっそり隠しておいて――しかも隠していることを指摘されたら「『偽善の抗弁』という詭弁だから答えない。」などと言い逃れをして――相手にだけ説明を求めるのは、「ずる」以外の何でもありません。はっきり申し上げれば、そいつは卑怯者お嬢様ですわ。『偽善の抗弁』は詭弁ではなくってよ!

 

論点の摩り替えにはあたらない

これまた議論の基本ですけれど、ある論点を単に時系列的に先出しされたからといって、その論点を「本当に」先に扱うべきだとは限らないのですわ。実際、提示された論点よりも先に解決しておかなくてはならない論点、いわゆる『先決問題』が存在するケースがありますわ。その場合は、それが先決問題に該当する根拠を述べた上で、堂々と論点を変更すればいいのです。「先に提示された論点を先に扱う」のはバカ正直なだけでしてよ。ちゃんとした根拠があるなら、「論点の摩り替え」には該当いたしませんわ。

 

聖書でも、イエス・キリストが次のように述べておりますわ。

 

自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、『さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください』と、どうして言えるだろうか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる。(Luke 6:42)

 

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他人の目にある「おが屑」(木材を削った時に出る小さい木片ですわ)よりも、自分の目にある丸太のほうが先決問題だと仰っているわけですわね。たとえ話ではありますけれど、どちらが時系列的に先に指摘したとかではなくて、中身で見て「丸太」>「おが屑」という優先順位があるという指摘ですわ。

ただ、だからといって『偽善の抗弁』が常に優れた反論方法であるという訳でもないですわ。先程チラッと「税金を騙し取る」と「駐車料金を滞納する」は本当に同じ扱いでいいのかと述べましたが、ここが重要でしてよ。要するに、この論法は「あなた『も』やっているが、それはどうなんだ?」と問いただす方法ですから、同一性がそれなりに担保されている必要がありますのよ。同一性がイマイチだと、「それとこれとは違いますわよ!」という言い返しが刺さって死にますわ。

「論法」という構造よりも、やっぱり中身が大事なのですわ。(ついでにいえば、『偽善の抗弁』と類似した概念のWhataboutismも、詭弁になる時とならない時がありますわ。なお、Whataboutismが気になる方は、適当におググりになってくださいまし。話が重複しすぎますわ。)

 

古の知恵に学びつつ、素敵なお嬢様を目指しましょう!

ネット議論お嬢様 Part.8:「定義」ってどう扱いまして?

私は2021年5月29日に次のようにおツイートいたしました。

 

 

ただ謝罪しなければなりませんの。これ、わたくし引用RTする対象のおツイートを間違えておりますわ。神崎お嬢様のnote記事へのお感想のつもりだったのですけれど、こっちはTogetterまとめですのね。まあ、テーマは共通していますから、大きな齟齬は出ないものの、ちょいミスりましたわ。ごめんなさいね。

 

それで、いつも仲良くさせて頂いているLlukSお嬢様から次の御質問を頂戴しました。
(※ツイート埋め込み機能を使うと連続リプライは縦長になりすぎるため、文章を転記させてもらいましたわ。太字強調は引用者によりますわ。)

 

①とても大事な視点であるとは思う。 しかし日本人の言葉へのいい加減さはもはや治らないのではないかと思うのですが、手嶋さんはどうお考えになりますか?
②申し訳ない。仕事終わりの気の緩みから何ともぼんやりしたもののお尋ねのしかたになってしまいました。 「日本人の言葉へのいい加減さ」とは例えばカタカナ翻訳の利便性に依存し、最早新たな言葉として再生産する事に日本人が慣れきってしまっているから、→
日本語の性質として語句の定義の拡張使用の傾向は素から「在る」ものだ、と考える事はある程度妥当性があるのではないか。これを防ぐ手立ては意義を再生産するカタカナ外来語をある程度危険視する言説が構築されない限り「治らない」ように見える、とやや暗澹たる思いでおりますが→
④手嶋さんは、どのようにお思いですか? という事が先のtweetの趣旨でした。長々と申し訳ないで。

出典:
https://twitter.com/LlukS666/status/1398674459314302977
https://twitter.com/LlukS666/status/1398679480512573450
https://twitter.com/LlukS666/status/1398680922359095296
https://twitter.com/LlukS666/status/1398681156942405632

 

 語句の定義の拡張使用は、「日本人」の「日本語」に特有の性質ではなく、「人類」の「言語」に共通の性質でしてよ。もちろん、各言語を精密に比較するなら、原理的には程度の差が検出できるかもしれませんけれど、「定義の拡張は、日本語で特に発生しやすい。」という論は言語学クラスタお嬢様からは聞いたことがありませんわ。(もっとも、私が聞いたことがないだけで、どこかで言われているかもしれませんわ。)

実際、お学生時代にお英単語を憶えるときも、「多義語」ってやつには面倒な思いをさせられたはずですわ。多義語のすべてが「拡張」によって生まれた訳ではありませんけれど(ぜんぜん違う経路で入ってきたにも関わらず、最終的にひとつの語句に「合流」しちゃったとか、あるいは「拡張」とは逆に、元々はもっと広い意味をもつ語句が「縮小」しちゃったとかもありますわ。)、たとえば"Japan"「日本」という意味に加えて、漆器という意味がありますわね。毛唐どもの言語運用もいい加減でしてよ。

「英語 多義語」とかで検索すれば、お受験用に「憶えるべき多義語のリスト」みたいなのが出てくるでしょう。「どうして、それとそれを一緒にしましたの……?」と疑問に思うものばかりですわ。"book"なんて、「本」という名詞と、「予約する」という動詞が一緒くたになってますわ。品詞レベルで変えるなよって思いません?

 

さて。カタカナ外来語についても他国の事情とそう変わりませんわ。またお英語の場合で言いますと、いわゆる「英単語」のうち、外来語(言語学的には英語以外の言語からの借用語を指す)が占める比率はオドロキ60%~80%ですわ。あいつら、お意識高い系ビジネスパーソンよりもはるかに外来語を使って喋ってますのよ。英語ネイティブに日本人の和製英語を非難する権利なんて全く無いですわ。どの口がほざきますの? おふざけはおよしになって!

たとえば、英語のuncle(叔父)やcousin(いとこ)はおフランス語ですわ。おフランス語で叔父はoncle、いとこは完全にそのままcousinですわ。一方で、father(父親)やmother(母親)は英語の本来語で、おフランス語とは全く別ですわ。これを日本語でたとえると、「父や母のことは日本語で父や母と言うけれど、兄弟のことは『ブラザー』と呼び、『兄弟』はもう誰も使わない死語・古語になってる。辞書にも掲載されていない。」くらいの状況ですわ。借用語比率が60~80%ということは、こんな状況が英語では当り前だということですわ。

 

とはいえ、普通に喋ってる日本人が外来語を避けて本来語を使っているのかというと、全くそうではありませんわ。というも、単に「外来語」と言った場合、日本人として真っ先に考えるべきは「中国語」(漢語)だからですわ。

カタカナ翻訳の利便性に依存し、最早新たな言葉として再生産する事に日本人が慣れきってしまっている』という御指摘がございましたけれど、それはかつて漢語翻訳でやりまくったことですわ。(「利便」も「依存」も「生産」も漢語ですわ。)新しい言葉を受け取るにあたって、「和製漢語はいいけれど和製英語(カタカナ)はダメ」という論もたしかに有り得ますけれど、私から見ると「由来するお国が違うだけではなくて?」と思っちゃいましてよ。翻訳にあたり、いったん中国語を経由するルールにでもしまして?

 

以上から、意義を再生産するカタカナ外来語をある程度危険視する言説はやりにくいと思いますわ。いま現在、欧米が世界の中心みたいなツラをしていらっしゃるので、そのへん生まれの概念をそのままカタカナで輸入する状況は消えないでしょう。ちょっと悔しいですけれど仕方ないですわね。

この件については、以上がわたくしの考えですわ。追加の御質問があればいつでも受け付けましてよ。

 

それでも、「定義」の拡張を咎める意味

ここまでは言語の在り方として、かなり物分りの良い「定義なんて自由ですのよ~!」的なお話をしましたけれど、それは半分正解で半分間違いですわ。

もちろん原則として、ある語句をどのように定義するかはその人の自由ですわ。「犬という言葉で猫を意味することにする。」なんて定義をしても構いませんわ。定義に真偽なしという言葉通りですわよ。「AはBを意味することとする。」と約束して、それを自分で守れば基本は問題なしですわ。

じつは定義についての考え方は、わたくし既に記事にしておりますわ。次の記事でしてよ。(お時間のあるときにお読みくだされば幸いですわ。)

 

teshima-kairei.hatenablog.com

 

「定義の拡張」が、「その語句に本来なかった意味を新たに与えること」全般を指すなら、例えば物理学で定義されている「仕事」という語句も問題視することになるでしょう。物理学における「仕事」とは、お高等学校で習う通り、「物体に加わる力と、物体の変位の内積ですわね?

でも、これに対して「そんな定義でその語句を使うな!」「勝手に拡張するな!」というのは明らかに不毛な批判ですわ。

 

けれど、神崎お嬢様が問題視した「スラップ訴訟」の拡大については、事情が異なりますわ。神崎お嬢様がお書きになった定義を借用させていただきますと、スラップ訴訟は『個人・市民団体・ジャーナリストによる批判や反対運動を封じ込めるために、企業・政府・自治体が起こす訴訟』(出典:note記事『差別問題に蔓延する「ソリテス・パラドックス」 』)ですわね。明らかに、はるかちゃん氏が石川氏に起こした訴訟は該当しませんわ。

 

簡単に申し上げれば、わたくしが物理学の「仕事」を咎めないのに、「スラップ訴訟」は神崎お嬢様と同様に咎めるのは、法的な問題に加え、「元々の定義が持つ喚情的意味を都合よく流用しているから」ですわ。(この観点そのものは神崎お嬢様とは異なりますわ。神崎お嬢様は批判するにあたって「ソリテス・パラドックスに陥るから」という理由を採用していらっしゃいますわ。)

喚情的意味というのは、要するに語句が持つ感情を喚び起こす力ですわ。例えば、テロリズム「性的搾取」という語句を目にしたら、私たちは単にその記述的意味として「~のことである。」という情報を受け取るだけでなく、同時に「悪いことだ! 許せない!」という感情も喚び起こされますわよね? 今風にいえば、エモいワードなんですわよ。

「殺人鬼」「鬼」というエモいワードを付与することによって、「恐ろしいもの、怖いもの」という感情的イメージを与えていますわ。少なくとも「殺人犯」というよりは「殺人鬼」のほうが喚情的意味は強めだといっていいでしょう。だいたいの語句は、記述的意味とそれに付随する喚情的意味を持っていますわ。

わたくしが許せないのは、定義を変更しているにも関わらず、「変更前」の定義しか持っていなかったはずの喚情的意味を、「変更後」の定義にも流用する、その卑劣さですわ。

たとえば、「実在の女性に性的労働を強制し、利益を奪い取る。」という本来の定義の「性的搾取」は、それにふさわしいだけの喚情的意味がありますわ。「性的搾取をやっている人は最低最悪、人類の敵!」と言って差し支えないでしょう。

けれど、「女性キャラの萌え絵を創作・公開すること。」という全く違う状況に対して「性的搾取」という語句を使うのは、本来の「性的搾取」がもつ喚情的意味を流用して「悪いイメージ」を持たせようとしているだけの、極めて卑劣な名付けに過ぎませんわ。本当に図々しいにもほどがありましてよ。あとから現れて、喚情的意味だけウチでも使わせて下さいって、そりゃ通しませんわよ。そっちはそっちで別の語句でおやりになって!

 

あと、神崎お嬢様が問題視している「ソリテス・パラドックス」および「曖昧な定義」の問題にもおおむね同意いたしますわ。そちらの論は神崎お嬢様のnote記事を参照なさってくださいまし。

とはいえ、ちょっと思うところはありますわ。例えば、「スラップ訴訟みたいなもの」「一種のとも言える行為」なんて小学生めいた言い逃れが認められるなら、今回の声明を発表した現代書館様を指して、「一種の恫喝とも言える声明を発表した反社会集団またはヤクザみたいなもの」と言い返しても全然OKってことになりますわよね?

であれば、現代書館様に「スラップ訴訟とは異なる。」と御指摘して、「スラップ訴訟そのものとは断言しなかった。だから問題はない。」という反論されたら、仕返しに上の「一種の恫喝とも言える声明を発表したヤクザみたいなもの」と言っても問題はありませんわ。だって「断言していない=セーフ」論法を採用したのはそちらでしょう? 自業自得でしてよ。

まあ、あくまでもそういう言質が取れたらですし、仮に取れてもお嬢様としては品が悪いので、お勧めはしませんわ。というより、最悪、経緯はどうあれ名誉毀損で訴えられかねませんし、やってはいけませんわよ。ーーええ、「お勧めしない」ではなくて「やるな」にしておきますわ。わたくしも犯罪教唆と言われたくありませんわ。危ないですわ。

 

上品なネット議論お嬢様として、定義を正しく使いこなし、一流を目指して頑張りましてよ!

ネット議論お嬢様講座 Part.7:e-フェミお嬢様のご質問に回答しつつ、「質問」の正しい形を説明しますわ!

わたくしのお相互フォロワーの中でも素晴らしいお方のひとりに、e-フェミお嬢様がいらっしゃいますわ。大体において意見が似通うことが多い方――だとわたくしは勝手に思っている――なのですけども、おタイムラインおツイートを眺めておりますと、ヒトシンカお嬢様の『ラブタイツ』記事をめぐって、見解が割れていることが分かりましたわ。わたくしは当該記事に対して肯定派、e-フェミお嬢様は否定派ですわ。

今回はe-フェミお嬢様のおツイートにわたくしなりの答えを示しつつ、わたくしが「肯定派」である理由を説明しますわ。

あとついでに、ネット議論講座として『「質問」はどうあるべきか?』なんてお話もしちゃいますわ!

 

性的搾取という概念を使ったらフェミニストですわ!

 

e-フェミお嬢様が上のおツイートで問題視しているのは、『ラブタイツ』記事の次の部分ですわね。

 

 これ(引用者注:ラブタイツ広告イラスト)にフェミニスト集団が一方的に【性的搾取】、【性的消費】、【男性目線】などのレッテルを貼り、キャンペーンを中止に追い込んだ。
 なおこれら「性的搾取」「性的消費」とはフェミニスト用語だが当時トレンド入りするほどバッシング側によって乱用されており、この騒動が「一般女性」ではなく「フェミニスト」によるものであることの明確な証拠となっている。性的消費というのはネット上のフェミニスト、いわゆる【ツイフェミ】が作り出した語義不明瞭なオリジナルスラングであるし、「性的搾取」は実在の女性や児童などを正当な報酬を払わずに性産業に従事させたりすることを指す言葉で、萌えイラストは本来全く関係ない。これらの用語を萌えイラストのバッシングに使うのは唯一日本のフェミニストだけである。

【#ラブタイツ】 - Censoyclopedia:センサイクロペディア

 

ひとつずつ順番にいきますわね。

e-フェミお嬢様は『企業のキャンペーンに対して私人が感想を言う際に、一方的とか一方的じゃないとか言う事があるかしら』と疑問を感じなさったようですわ。でも、正直「一方的」というワードにそれほど意味はないと思いますわ。感想の送付ってもともと一方的ですし。「少なくとも双方向的・対話的ではない」程度に理解しておけばたぶん十分でしてよ。実際、このワードを使わなくても(省いてしまっても)ヒトシンカお嬢様の論は成立しますから、わたくしとしては、「それは取り上げるほどでもない。」という感覚ですわ。

 

そして、次の疑問は『この記事では「フェミニスト」と「一般女性」の違いはかなり重要ですけれど、どう定義されているのでしょう。性的搾取という言葉を使ったらフェミニスト……?』ですわね。――これは重要ですので、しっかり説明しますわ!

実はこれを説明するのにうってつけの示唆深い考察を、英文学者のイーグルトンお嬢様が『イデオロギーとは何か』という著書でしておりますわ。引用しますわね。

 

イデオロギーは、わたしが状況をどう考えているかという問題ではなく、なんらかのかたちで、状況そのものに刷りこまれているものなのだ。わたしが「白人専用」と書かれた公園のベンチに座っているくせに、自分は人種差別には反対であるなどと思いをあらたにしたところで意味はない。白人専用のベンチに腰をおろす行為によってすでに、わたしは人種差別のイデオロギーを支持しその永続化に手を貸してしまったのだ。いうなればイデオロギーは、わたしの頭のなかにあるのではなく、そのベンチのなかにあるのである。

イデオロギーとは何か (平凡社ライブラリー) | テリー イーグルトン, Terry Eagleton, 大橋 洋一 |本 | 通販 | Amazon

 

上の論を少し展開しましょう。ある人がフェミニストかどうかは、「本人がフェミニストだと自認しているかどうか」ではなく、本質的にはフェミニストと同じ行動・言動をとるかどうか」で判断されるべきですわ。

たとえば、わたくしが「不逞外国人」在日特権といったネトウヨが作り出したネトウヨ御用達の批判概念を好き放題使っておいて、「でも、わたくしはネトウヨではありませんわ!」などと言っても、誰も真面目に受け取らないでしょう? せいぜい「いや、あなたは立派にネトウヨでしてよ。」と言われるのがオチですわ。また、それで妥当・正当ですわ。白人専用のベンチに座りながら「人種差別には反対である。」と考えるのと同じですわ。(私は黄色人種ですから、モンゴロイド専用ベンチと言うべきかしら?)

同様に、萌え絵に「性的搾取」という概念をぺたんこと貼り付けて批判するのはジャパニーズ・フェミニストのやり方なのですから、そのやり口に習って同じことをする人は、自認していようがいまいが、やっぱりジャパニーズ・フェミニストですわ。認定は正しくってよ。

もし、「性的搾取概念を用いて萌え絵を批判していても、ジャパニーズ・フェミニストとは言えない。」と仰っしゃりたいなら、そう言えるだけの何らかの根拠が必要ですわ。たとえば、「物理学クラスタのほうが、萌え絵に性的搾取概念を当てはめて批判している。」とかですわね。まあ、物理学でなくとも、オタククラスタでも経済学クラスタでも何でも結構ですけれど、ぶっちゃけどんなクラスタを比較対照にしても、「萌え絵=性的搾取」論は圧倒的にジャパニーズ・フェミニストクラスタが使っていると思いますわ。これは否定できない現実ですわ。

そのクラスタの特徴に該当する行動・言動をしている人は、そのクラスタにいると判定される――これに異存ありまして?(「不逞外国人」「在日特権」を繰り返し使う人の例とあわせて考えてみて頂きたいですわ。)

 

立証責任はそちらにありますわ!

次のおツイートに参りましょう。e-フェミお嬢様はこのように述べておられますわ。

 

 

ヒトシンカお嬢様が想定している「中年女性」は、宮崎勤事件なんかがあって、マスコミによるオタク・バッシングが特に厳しかった時期に幼少期を過ごした女性ですわね。(記事中にそのような旨の記述がありますわ。)

さて。逆にお尋ねしたいのですけれど、宮崎勤事件から時間が経てば経つほど、相対的にバッシングの勢いは減りますわよね? 流行り廃りとしてそうですわ。また、時期が進むほど、オタク表現はどんどん表の市場に出るようになって、アニソンオリコンチャートに入るのが「さして珍しくもない光景」になったかと思えば、ニコニコ動画を通じてボーカロイドが爆発的な人気を博し、今ではVTuberなんてのまで人気ですわ。いかにもな萌え絵を使ったおスマホゲーも流行ってますわね。

こうした状況の変化の中で、一体どうやればオタク・バッシング世代である「中年女性」ほどの萌え絵への強烈な抵抗感を、「若い女性」がそのまま引き継いで維持したり、あるいは更に強めたりすることが可能ですの?

若い女性ほど萌え絵に抵抗感がない。」という推論は、ごく自然に、ほぼ当り前に導かれるものですわ。もう社会通念としてそうだと考えてもいいでしょう。こうした場合、むしろ、疑問を持った側の対抗言論である若い女性も、中年女性と同程度か、それより強い抵抗感がある。」の方こそ、何らかの『強い証拠』が必要ですわ。

 

これに併せて、『立証責任』という議論の原則を少し紹介しますわ。今回のケースで私は、「自然な推論」を述べたに過ぎないヒトシンカお嬢様よりも、それに疑問を感じたe-フェミお嬢様のほうに、疑問を付されてしかるべきとする「証拠を示す責任」(=立証責任)があると考えていますわ。

(※引用が長いので、太字だけ読んでもいいですわ。)

 

 すでに存在するものを優先する存在者のトポスが、最も典型的なかたちで現れているのが、議論における立証責任という考えである。立証責任とは、要するに、議論においてどちらが最初に立証する責任を負うかということである。立証責任は元来が法律用語であったが、これを法律以外の、議論一般の問題に応用したのは、修辞学者のリチャード・ウェイトリー(1787ー1863年)であった(『修辞学初歩』1828年)。
 ウェイトリーの考えはすこぶる単純である。彼は、現存する制度、規則、また通念や常識のように世間一般に受け入れられている判断、あるいは伝統、慣習、さまざまな分野における権威など、要するにすでに存在しているものに特権的地位を与え、これらは充分な反対理由が示されるまでは存続されるべきであると考えた。したがって、制服着用を義務付けている学校で、制服を廃止すべきか否かと論争が起きたときには、まず制服廃止派が自らの主張の正しさを論証しなければならない。制服存続派が喋るのはその後である。
 しかし、それではなぜ、すでに存在するものはこのような特権を享受できるのかという疑問が生じてこよう。これについて、足立幸男氏は次のように解説している。

 ……私見によれば、スタトゥス・クオ(現状、引用者注)の変更は一般にメリットのみならずデメリットをも伴う。しかも、これらのデメリットに対して多くの人々は知識も経験ももたない。そのため、スタトゥス・クオの変更は、時として、大きな社会的混乱をもたらすことになりかねない。その意味で、スタトゥス・クオの変更を求めようとする側に対して、それを主語しようとする側より相対的に重い責任を要求するのは、それなりに合理的な方策であるように思われる。(『議論の論理』1948年)

 足立氏が述べていることは性格である。すでに存在しているものについては、われわれは、そのメリットもデメリットも承知している。が、まだ存在していないものは、その正体をはかりかねるのだ。福田恆存氏は、選挙でなぜ大衆が保守党に投票するのかということを、その心理から説明している。

 ……大衆が諒解してゐる政治といふものは、進歩派の頭のなかにある消毒政治と異り、毒も一緒に飲みこむことなのだ。彼等は資本主義国家にも自由主義陣営にも悪があることを知つてゐる。それがかなり大きなものであることも知つてゐる。同時に、欲する善はその悪と抱合わせにでなければ手に入らぬことも知つてゐる。彼等が保守党を支持するのは、両者の間にさういふ黙契が成立つてゐるからだ。保守党の悪は顕在してゐる。が、革新政党の悪は潜在してゐる。未知のメーカーの新式の機械同様で、売手は従来の品より良いところばかり宣伝するが、どこに狂ひが来るか見当がつかない。国民大衆にとつては、それが気味わるいのだ。さういふ常識を「感情的」なものとして軽蔑したり無視したりすることは出来ない。(福田恆存「常識に還れ」)

 こうしてみると、立証責任は、すでに存在するものにわけもなく特権的地位を与えているのではないということがわかる。実際問題として、何かしら現存するものに反対する論者は、まず自らがその反対論を論証してみせなければそもそも説得力をもちえないのである。たとえ立証責任の義務が課せられなくても、一つの提案として認めてもらうためには最初の立証を引き受けざるをえないのだ。だから特権的地位は与えられたというよりも、存在者に最初から備わっているものだといえよう。存在者のトポスが選択のための論拠として機能する秘密もそこにある。

香西秀信『議論術速成法:新しいトピカ』(ちくま新書, 2000年)

 

もちろん、どのような言論(ここではヒトシンカお嬢様の仮説『若い女性ほど萌え絵に抵抗感がない。』)に対しても、疑うのはたいへん結構でしてよ。何もかもを疑うべきですわ。ただ、その「疑い」を支える根拠は問われますわ。具体的には、「その仮説と矛盾する事実がある。」(A)とか「それよりももっと有力な(説得力のある)仮説がある。」(B)とかですわね。

このAとBをどちらも全く示さずに、ただ疑問だけ述べても、相手にはかわされてしまいますわ。「根拠が乏しい気がする。」に対しては、たとえば「根拠は十分ある気がする。」とでも答えておけば、それでとりあえず引き分けですもの。だって、証拠レベルが同じですからね。あえてネット議論として評価したとき(本当に純粋な質問だったらごめんなさいね!)、e-フェミお嬢様の質問の仕方では、引き分けか負けしかないのですわ。不利なじゃんけんですわ。

唯一、「ひょっとしたら」の次元で勝ち筋としてありうるのは「質問に対して相手が回答をミスる。」ですけれど、これヒトシンカお嬢様に期待するのは多分ちょっと厳しいですわ。AまたはBを用意して、きっちり『実弾』をブチ込まないと、そいつは殺せませんわ。(ネット議論の経験値が明らかに私より上ですわ!)

 

立証責任を先にこちらが果たしてもいいですけれど、根拠はかなり簡単に調達できますわ。たとえば、萌え絵文化を創作・消費する人たちの女性比率を見ればよろしいわよね?

 

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https://lab.appa.pe/2015-11/lovelive-imas-comparison.html

本当は時系列で「昔は女性比率が低かった」を過去の別作品を使って出していくべきなのでしょうけれど、なんかもうわりと十分な気もしますわ。ラブライブ!』が萌え絵的ではないとは流石に仰らないでしょう。ていうか若い世代で「女性比率のほうが高い」まで到達しているのはわたくしも驚きましてよ。(おスマホの性別設定にはあんまりウソはないと仮定していますわ。たぶんおスマホを購入したときの性別欄の反映でしょうし。)

あと、『けいおん!』の視聴者層分析とか、少しググったら色々出ましたわ。おそらくヒトシンカお嬢様の推論を裏書きするデータは、ポンポン並べられますわ。

 

 

一文でも何でも、根拠を1個でも出した側は、1個も出していない側よりも説得力の点で「上」ですわ。加えてe-フェミお嬢様は、疑問の根拠(AまたはB)を提示していないので、素直な質問なのか、「回答ミス待ち」のイチャモンなのか、外形的には区別できませんわ。(※個人的に私がe-フェミお嬢様のことを信じているのは、また別の話ですわ。)

そもそもそういう「相手に論証おまかせコース」みたいなのは駄目なんですの。おまかせしたら相手の好きにやられますわ! きっちり詰めて殺せですわ! どうして否定的証拠を突きつける努力をおサボりになられたの!?

 

放置していても脅威にならない質問は、放置されますわ。それが議論の摂理ですわ。「答えなければまずい!」「黙殺していれば相手の正しさを認めたことになる!」ような質問を――そのような危機感を与える質問だけを――発するべきですわ!

 

ネット議論ならば、ですけれども。(純粋な学生風の質問ならこの限りではないですわ。)

 

と、ガンガン書いちゃいましたけど、e-フェミお嬢様は、今後もわたくしと仲良くしてくださると嬉しいですわ!(相当偉そうに書きましたけど、お気を悪くしてほしくないですわ。これは本当に本心ですわ。)

今回の講座はここまで! わたくしも質問に気をつけて、ネット議論お嬢様として精進して参りますわ!

ネット議論お嬢様講座 Part.6:呉智英お嬢様に学ぶ「帰謬法」

今回は反論法のひとつ、「帰謬法」を扱いますわ。

 

今日たまたま呉智英お嬢様『日本衆愚社会』を読んだからですわ。このお嬢様は人権論を手厳しく批判することで有名でして、実際に「差別もある明るい社会」みたいなことを言って物議を醸したこともありますわ。あと民主主義に対抗して封建主義の復権を目指したりもしていますわ。変わったお嬢様でしてよ。

ともあれ、昔から論客として非常にお強いお嬢様ですし、著書の意見内容に賛同するにせよしないにせよ、ネット議論お嬢様の参考になると思いますわ。

 

呉智英お嬢様は、前記の本の中で、お朝日新聞の松下秀雄お嬢様に次の反論をしておりますわ。

 

 シールズがまだ活動中の2015年10月25日付の朝日新聞編集委員の松下秀雄がこんなことを書いている。

「私はSEALDsの若者たちに敬意を抱いている。『戦争法反対』と唱えているからではない。主張の中身はさまざまでいい。自分の頭で考え、言葉にする。『私は嫌だ』といえる。空気に流されにくい社会をつくる、それをめざし、圧力に負けずに取り組んでいるからだ。それこそ、この国の民主主義にとって大切だからだ」

 シールズより数年前、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)が結成された。その名の通り、既成政党や労組とのつながりのない市民一人一人が集まって結成された市民運動団体である。たぶん松下とは「主張の中身」は違うだろうが、それは「さまざまでいい」はずだ。それよりも「自分の頭で考え」「『私は嫌だ』といえる、空気に流されにくい社会をつくる」べく「圧力に負けずに取り組んでいる」ことが「大切だ」。松下はこれにも「敬意を抱」くのだろう。

 在特会は「自分の頭で考え」たからこそ駄目なのではないか。馬鹿の考え休むに劣る。朝鮮人は嫌だと言えばいいわけではない。圧力に負けず、空気に流されなければいいわけではない。

 松下の小論で評価すべき点が二つある。一、シールズと在特会が同類であることを暗に指摘したこと。二、両者が「民主主義にとって大事」だと、これも暗に指摘したこと。

呉智英『日本衆愚社会』(小学館新書, 2018)

 

 お朝日新聞の松下お嬢様が漠然とした一般論を根拠にシールズを擁護したので、呉智英お嬢様が「その一般論は在特会にも当てはまるが、お前はそれを認めるということでいいのだな?」と詰め寄っている形ですわね! 

これは反論のひとつの形式として憶えておいて良くってよ。名前は「帰謬法」と言いますわ。

 

この反論法では、相手が自分の主張を正当化するために用いた根拠を利用しますわ。

 

松下お嬢様の主張:シールズは素敵ですわ!

正当化根拠①:自分の頭で考えることが大事でしてよ!
正当化根拠②:「私は嫌だ」と言えることが大事でしてよ!
正当化根拠③:圧力や空気に負けない(抵抗する)ことが大事でしてよ!

 

呉智英お嬢様が論じている通り、根拠①~③は在特会にも当てはまりますわ。ですから、松下お嬢様は在特会は素敵ですわ!」とも必然的に主張しなくてはなりませんわ。それはお朝日新聞の松下お嬢様にはきっと耐え難いことでしょう。

相手が使った一般論に基づいて、相手が認めたくない主張(または、明らかに不条理な主張)を正当化することで、対象の議論が誤っていると示す――これが「帰謬法」ですわ。

(※「帰謬法」はもっと細かい意味、異なる意味もありますけれど、この記事ではこの程度に限定しておきますわ。後々知れば良いことでしてよ。)

 

とはいえ、注意点もありますわ。

 

帰謬法を使って批判した場合、相手の開き直りには弱いですわ。この場合ですと、松下お嬢様が、建前論としてでも「ああ、そうだ。在特会の人たちのような主張があるのも大事だし、彼らの意見に賛同こそしてないないものの、敬意は抱いている。」とお返しになった場合、それ以上は踏み込めませんわ。(この言質を取ったことで「議論の目標は達成できた。」と考えることもできますけれど。)

 

また、後付けでも、両者(シールズと在特会)を差別化できる根拠を述べられた場合、もういっぺん考え直しになりますわ。たとえば、在特会ヘイトスピーチをしている極めて悪質な集団である。私の考えでは、ヘイトスピーチは民主主義そのものを破壊する言論である。取り上げた一般論だけで何でも同じ扱いにする訳ではない。例えば、単に①~③の条件を充たすだけならオウム真理教もそうだろうが、いちいち『テロ行為をしている場合はこの限りではない。』などと書く必要はないはずだ。」という返しは有り得ますわね?

 

このあたりは、どちらがより説得的な議論を展開できるかという「力」の勝負になりますわ。自分が誰かの論を批判するのに帰謬法を使う場合は、こうした返し技に注意しつつやっていくことですわ。逆に、自分が立論する場合は、「わたくしが使った根拠は、何か不都合な主張まで正当化してしまいませんこと?」とよく検討することが大事ですわよ。

 

こんな細かい注意点があっても、「帰謬法」はけっこう強い反論法ですわ。というのも、帰謬法では、相手が使った根拠をそのまま自分の反論の根拠に使うので、相手は「知らねえよ。」と返すことが出来ませんの。

 

たとえば、論戦の相手がキリスト教徒で、主張を正当化する根拠に聖書の一節を持ち出してきたとしましょう。キリスト教徒ではない私は「知らなくってよ! わたくしには関係ありませんわ!」と返すだけで構いませんわ。

けれど、わたくしが聖書の別の一節を持ち出してきて、相手に「あなたはこれにも従いますの?」(聖書は古い本ですから、現代的な道徳観・人権観とは相容れない記述が多数ございますわ。)と突きつけるのは有効な反論ですわ。キリスト教徒なら、「聖書なんて関係ありませんわ!」とは言えませんものね。

帰謬法はこの性質から、「相手の神を利用して相手を撃つ論法」と呼ばれたりもしますわ。

 

――と、今回はいつもより短いお記事になりましたけれど、別に長けりゃいいってもんでもないですわ。

一流のネット議論お嬢様を目指して、わたくしも頑張りますわ!

お嬢様のための議論講座 Part.5:青識亜論氏と小宮氏の論争を題材に「ゆっくり」を学ぶ

そう、それは3年前の2018年……皆様は何があったか覚えていらっしゃるかしら?

もちろん、私は全く憶えておりませんわ。

ともあれ、こちらのおブログのお記事が面白かったので、今回はこちらを題材にしてゆっくりすることにしましてよ。

 

noumos.hatenablog.com

 

ネット論客・青識亜論氏vs.社会学者・小宮友根氏の論戦ですわね! 『最善の相』というバズワードが誕生したのを覚えているお嬢様もいらっしゃかるかもしれませんわ!(ただし、「最善の相」はご本人が既に取り下げていらっしゃるので、これ以上同じネタでいじるのは失礼でしてよ。これは最後に紹介しますわ。)

まあ「最短で追いつく」も何も、いまは2021年でとっくに終わった話ですが、わたくしはそんなの気にしませんわ。「永遠」はここにあるのですわ。

 

この論戦は上の記事で紹介されています通り、次のツイートが発端ですわ。

 

Aさん(Cさんが想定する外国人の友人)「日本女はなぜに簡単にやらせてくれるの?」
Cさん(瀬戸内快男児氏)「...と真顔で聞かれると答えに困るので、海外には貞操観念をしっかり持っていきましょう。ラッキープッシーとかチープガールとか言われてまっせ。」
Bさん(jiji氏)それってあなた自身が馬鹿にされてるんだよ。『あなたの国の女性はなぜ簡単にやらしてくれるの』なんて聞くのは喧嘩売ってるのと同義なのに、そこで『貞操観念をしっかり持ちましょう~』とか自国の女性に言うこのピントのずれ方やばい。」

 

これに対して、青識亜論お嬢様が次のような見解を述べたそうですわ。

(※以下、あくまでもブログ主お嬢様の「まとめ」ですので、実際に青識亜論氏や小宮友根氏がされたツイート本文とは異なりますわ。でも、本講座の題材としては読みやすいので採用させていただきますわ。)

 

 jiji氏の発言は、次の二つの理由で問題である。

①jiji氏の発言は、男性に怒ることを要請しており、男性に強くあるよう求めているのと同義である。
これはHeForSheの理念と矛盾しているから、フェミニストがjiji氏を批判しないのはおかしい。
②jiji氏の発言は、「女性は貞淑であるべきだ」という価値観を前提にしており、女性の貞操観念が低いことを否定的に評価するよう求めている。
これはフェミニズムの思想と矛盾しているから、フェミニストがjiji氏を批判しないのはおかしい。

 

これに小宮友根お嬢様が次のような趣旨で返したそうですわ。

 

jiji氏の発言の趣旨は、「差別的な価値観に乗るな」である。

だからフェミニストはjiji氏を批判する必要はない。

 

そしてブログ主お嬢様は、『両者はjiji氏の発言について、どちらの解釈が「より妥当」と言えるのかで論争をしていました。』とまとめておりますわ。

その後に詳細な議論プロセスがブログ主お嬢様の見解とともに書かれていますわ。けっこう長いですけれど面白いので、お時間のあるときに読むと良いと思いましてよ。

 

ですが、わたくしが扱うのはここまでで殆ど十分ですの。

 

瀬戸内快男児氏、jiji氏、青識亜論氏、小宮友根氏――4人とも間違っておりますわ!

 

ゆっくりしていない〈解釈〉は有害無益ですわ!

さあ、スタートしますわね!

最初から検分していきましてよ。まずは発端のこちらですわね。

 

Aさん(Cさんが想定する外国人の友人)「日本女はなぜに簡単にやらせてくれるの?」
Cさん(瀬戸内快男児氏)「...と真顔で聞かれると答えに困るので、海外には貞操観念をしっかり持っていきましょう。ラッキープッシーとかチープガールとか言われてまっせ。」
Bさん(jiji氏)それってあなた自身が馬鹿にされてるんだよ。『あなたの国の女性はなぜ簡単にやらしてくれるの』なんて聞くのは喧嘩売ってるのと同義なのに、そこで『貞操観念をしっかり持ちましょう~』とか自国の女性に言うこのピントのずれ方やばい。」

 

まず、瀬戸内快男児お嬢様は、イマジナリー外国人お嬢様の「日本女はなぜに簡単にやらせてくれるの?」という発言を、貞操観念の低さを問題視した発言」と〈解釈〉していますわ。一方、jijiお嬢様は、同じ発言について「あなた自身(瀬戸内快男児お嬢様)が馬鹿にされてるんだよ。」とやはり〈解釈〉していますわ。

それでは、これらの〈解釈〉はテキストの〈合理的な解釈〉として成立するかしら?

 

……ちょっとむずかしい気がしますわね?

いえ、成立させることが難しいのではありませんの。なんでも成立させられることが問題ですわ。

〈解釈〉の対象になるテキストは、「日本女はなぜに簡単にやらせてくれるの?」というたった一言だけですわ。これ以上の情報は一切ありませんわ。この発言の意図を推理するにしても、ほぼありとあらゆる可能性が考えられましてよ。次のようにですわ。

 

貞操観念の低い日本女性を馬鹿にして優越感に浸りたかった。(瀬戸内快男児お嬢様?)
・「貞操観念の低い国」「野蛮な国」として日本全体を馬鹿にして優越感に浸りたかった。(jijiお嬢様?)
・自分は近頃日本女性にモテていると自慢したかった。
・純粋に疑問に思ったので、大した考えもなく聞いてみた。
・「日本人女性だらけの日本では、皆さんさぞ簡単におセックスにありついているのでしょうねぇ。羨ましいですわ!」という軽い嫉妬から言った。
・「わたくしには、日本人女性を惹き付ける何か特別な魅力がありまして?」という自分についての質問がしたかった。
・「ちょっと危機意識が足りないんじゃないか? もしくは、嫌でもノーとは言いにくいとか……」と日本人女性を心配していた。

 

いくらでも出せますから適当に止めますけど、「日本女はなぜに簡単にやらせてくれるの?」というテキストに適合する文脈は、特にわたくしのようにお小説(ゆ虐小説)を書く文学お嬢様なら無限に思いつくことができますわ。

実際、どの〈解釈〉でも、お好きにおひとつ選んでくださったら、私はそれに「適合する」ような1,000字くらいの小話が作れますわ。外国人お嬢様のキャラクターのディティールを少々付け足して、当該発言に至った経緯を工夫すれば良いだけでしてよ。

 

私の答えはこうですわ。

一言だけの情報から、いきなり〈解釈〉をはじめた4人のお嬢様は、揃いも揃って慌てん坊お嬢様ですわ。〈解釈〉ではなく、〈質問〉をするべきでしたわ。「おやおや。一体どういうことだい、スティーブ? 今日はずいぶんゴキゲンじゃないか。」とお尋ねするべきでしたのよ。(外国人お嬢様のお名前が「スティーブ」かどうかは知りませんけど、イメージで申し上げましたわ。)

 

〈解釈〉の〈解釈〉って外れますわよ!

ブログ主お嬢様のまとめが正しければ、「外国人お嬢様の発言」を〈解釈〉したjijiお嬢様の発言を、さらに〈解釈〉したのが青識亜論お嬢様と小宮友根お嬢様ですわ。いわばお互いに〈解釈の解釈〉の妥当性で勝負するって訳ですわね。

 

なるほどなるほどですわ。へぇー。ふーむ、そういうことですわよね……。

ええと、まあ、その、ごめんなさい。お気を悪くなさらないでくださいまし。

 

…………頭がおかしいのではなくて?

 

いやだってそれ外しますわよ。フィルターが二重になってますわ。最初の〈解釈〉だって怪しいのに、そんなぐらついた土台の上でさらに〈解釈〉をするんですの?

論理的に確実に導き出せる〈解釈〉ならいいですわよ。たとえば「私、フルーツは何でも好きですわ!」というテキストに対して、「じゃあ、おリンゴも好きでございましょうね。」と〈解釈〉するのは妥当ですわ。

でも、青識亜論お嬢様の「男性に怒るよう要請している。も、小宮友根お嬢様の「差別的な価値観に乗るな。も、元のテキストから論証手続きオンリーで絶対に導出できるってわけじゃありませんわ。あくまでも「ありそうな解釈」ですわ。(「ありそう」であることは否定しませんわ。)

 

そんなの決着つかないに決まってましてよ。

「いかに『ありそう』か?」なんて最終的には気分の問題ですわ。情報量が絶対的に不足しておりますわ。「一応、ストーリーとしてしっくりくればいい」ならマジ何でもいけますわ。

 

あなたたちはスティーブに〈質問〉をするべきでしたわ。文脈・背景・経緯を確認するべきでしたの。〈解釈〉はまだ早いですわ。

 

たとえば、次の文章が〈解釈〉できて? わたくしの本棚にある小説から抜き出したものですわ。

 

「やれやれ」ウィルはケネディに向かってささやいた。「お楽しみはこれからだったのに」
ケネディがにやりと笑った。「スヌーピーを何匹か相手にするのに、おれの助けはいらないと思ったんだがね」

 

ここで問題ですわ。「お楽しみ」とは何です? スヌーピーは?

こんな風に聞かれたら、「情報が足りない。」と答えるのが当り前だと思いますわ。

 

答えは重要ではありませんけれど、前後を含めて改めて引用してみますわね。

 

うしろから大きなバーンという音がして、犬が地面に倒れた。頭を吹っ飛ばされていた。犬の血が顔にかかるのがわかり、背後から届く銃声が何度か夜気を切り裂いた。精確な射撃で、残った三匹も撃ち殺された。
ウィルがふりむくと、うしろにいた人物がAK-47の銃口を下に向けるところだった。
「やれやれ」ウィルはケネディに向かってささやいた。「お楽しみはこれからだったのに」
ケネディがにやりと笑った。「スヌーピーを何匹か相手にするのに、おれの助けはいらないと思ったんだがね」
「給弾不良を起こしやがった」ウィルははき捨てるようにいった。「帰ったら火器係に文句をいってやる」
「ああ、そのことだが――」ケネディが、犬の死骸の向こうの闇に目を凝らした。「このAKの銃声は、ヘリフォードにも聞こえたんじゃないか」

クリス・ライアン『ファイアファイト偽装作戦』(ハヤカワ文庫NV, 2009)

 

 「お楽しみ」は、おもちゃで遊ぶとか、おエッチなことをするとかではありませんわね。この場合は「襲いかかってきた野犬との戦闘」を指していると〈解釈〉できますわ。また、あえてそれに「お楽しみ」という軽い言葉を使ったのは、「危ないところだったが助かったよ。」と言うのが少々恥ずかしくて、格好をつけたために出てきた台詞だと〈解釈〉できるでしょう。

もちろんスヌーピーも、世界的有名マンガのキャラクターのスヌーピーだという〈解釈〉はさすがに有り得ませんわ。犬種は明示されてませんけど、もうちょっと凶暴そうで強そうな、リアルの犬と考えるべきでしょうね。

 

もうわたくしの言いたいことは大体察していただけると思いますわ。「日本女はなぜに簡単にやらせてくれるの?」の一言で〈解釈〉を始めるのは本当に無茶無謀ですわ。

 

「最善の相」とやらですわ!

小宮友根お嬢様は、「最善の相」という言葉を使って「採るべき〈解釈〉」の基準を示そうとして、後にそれを取り下げましたわ。おブログでは次のように総括されてますわね。

 

「最善の相」という書き方は適切ではなかった。
「二つの合理的な解釈があるとき、相手の主張に有利な解釈を採用せよ」と要請しているように読める。
・これは自分が意図していた「相手の発言をもっとも合理的に解釈せよ」という要請とは別ものであり、混乱を招くものだったので撤回し、以下のように訂正する。

訂正後の主張
・Bさんの発言について、それがフェミニズムの考えに抵触するという解釈と、しないという解釈のいずれもが合理的であるのなら、フェミニストが前者を採用すべきであるということが示されない限り、『フェミニストはjiji氏の発言を批判すべき』とは言えない。

 

これに対し、青識亜論お嬢様もそろそろ理性が戻ってきたのか、『「合理」とは何を根拠として、どう判断されるものなのか。』(おブログからの引用)と質問していますわ。

もっとも、私なら「〈合理的な解釈〉は2つどころか事実上無数に考えられますわ。情報が全く不足している中で、合理的もクソもありませんわ。」で済ませますわ。

とはいえ、これは青識亜論お嬢様にはすでに言えませんわ。ご自身も初手で〈解釈〉自体はやっちゃってるからですわ。

 

一応、小宮友根お嬢様が〈合理的な解釈〉をしていると自認している理由は次の通りみたいですわね。(もちろん、私から見ると無意味な饒舌なんですけれど。)

 

「あなたの国の女性はなぜ簡単にやらせるの?」発言がセクシズムである理由

・「あなたの国の女性は...」発言は、セクシュアルな傾向について否定的な評価をおこなって卑下をしていると理解するほうが自然だと私は思う。
・その理由は、「女性は貞節でなければならない」という価値観のもとで女性が性的にアクティブであることを否定的に評価し、そうした女性を卑下してきた歴史があり、「あなたの国の女性は…」発言は、その価値観を表現にしていると理解できるからだ。実際、Cさん(瀬戸内快男児氏)もそのような価値感に乗っかっている
・Cさんが「自国の女性」に対して「貞操観念を持ちましょう」と注意したのは、「簡単にやらせる」発言を「あなたの国の女性は貞操観念がない」と否定的に評価されたと理解したからだろう。
・この「貞操観念」からの評価というのは、女性にだけ貞節であることを要求する点で、女性の性的自己決定権を軽んじ男性と対等に扱わない性差別的なもの。(性の二重規準)
・したがって、Cさんは「あなたの国の女性は…」という発言に含まれるセクシズムに乗っかっている、という理解をすることができる。

 

いや、あなたの感覚は知りませんわよ。歴史のところは一定同意してもいいですけれど、そんな文脈での発言かどうかまではぜんぜん分からないですわ。というか、スティーブは単に最近、日本人女性とあっさりおセックスができて、少しはしゃいでるだけじゃありませんの? 発言から考えても、このスティーブに「女性はしっかりとした貞操観念を持つべきなのに、日本人女性にはそれがない。」と性道徳の乱れを問題視するような真面目さはない気がしますわ。「気がする」くらいでいいですわよね? ええ、自然な気がしますわ。そのように理解することができそですわ。

 

まとめ

〈解釈〉は必要な情報を〈質問〉によって集めてから、ゆっくりと慎重に行なうべきですわ!

 お嬢様力のさらなる向上を目指して、私も頑張りますわ!

お嬢様のための議論講座 Part.4:Dランクお嬢様に求められる読書量について

ネット議論お嬢様をA~Dの4つにランク分けした記事で、わたくしは次のように申し上げましたわ。

 

最初にごめんなさいと謝っておきますわ。Dランクお嬢様は、はっきり言って「論外」のランクでございましてよ。いつもとても乱れた日本語を記述していらして、相手の論はまともに読めていませんわ。必然的に質疑と応答の対応関係もズレてしまって、議論はいつもめちゃくちゃになる――そんなランクですわ。

そんなDランクお嬢様がネット議論に強くなるには、小手先の議論テクを知ったり、議論の実戦回数を重ねたりするよりも、インプット量(読書量)を増やすことが最優先ですわ。

生まれてから今までに読んだ活字本(エンタメフィクションを含まない、ある程度「お堅い」内容の本ですわ。新書は含めて頂いても結構ですわ。)が300冊未満のお嬢様は、何をどう頑張ってもまともな議論は出来ませんわ。残酷な世界の理ですわね。

ネット議論お嬢様のためのランク別「議論力」向上法 - 手嶋海嶺のゆっくり生活(ネット議論・日常生活)

 

こちらに対して、てんこお嬢様から次のおコメントを頂戴しましたわ。今回はこちらにお返事しながら、Dランクお嬢様へもっと詳細なアドバイスを提供いたしますわ。

 

ランク分けにはおおよそ異論ございませんわ。引っ掛かったのはアドバイスの方ですわ。例えばDランクお嬢様のことですわ。手嶋様は「活字本を300冊くらい読んできてくださいまし」と仰せですわね? 申し訳ありませんけれど、お嬢様への理解が足りておりませんわ。「強くなりたい」という強い目的意識を持つことが出来て「そのためなら300冊くらい軽く読んでやる」、なんて骨のあるお嬢様がDランク帯にいるとは思えませんわ。恐らくこのランク帯のお嬢様は読書が大変苦手でいらっしゃって、文字にまったく慣れていないお嬢様たちですわ。・・というか、少々読めたって300冊も読めるわけありませんわぁぁあああ!?
(中略)
改めて振り返ると、当ご記事のターゲット層は強くなりたいと思っている(少し言い換えてますわ)ネット議論初心者お嬢様ですわ。でしたら遠回りして本など読ませずとも、素直に過去の議論集を見て貰えば良いのですわ。

(同記事、コメント欄:てんこ様)

 

※たくさんの論点をいただきましたから、今回すべてを取り上げることは叶わないのですけれど、読者の皆様には、ぜひ一度、記事のコメント欄で全文を読んで頂きたいですわ。

 

先に結論から述べますと、活字本を読みながら、「過去の議論集」というのも読めばいいですわ。ともあれ、片方を採用するともう片方は採用できなくなるという問題ではございませんから、何でもやってみるのはいいことでしてよ!

 

ただ、わたくしとしては「多読」のメリットを少し入念に述べさせて頂きますわ。また「過去の議論集を読むこと」の問題点も後ほど改めて指摘しますわ。

 

なぜ「300冊」なのかを説明しますわ!

大きな目的は、ネット議論お嬢様の議論力を強化すること。それで合っていましてよ。そして、議論力は当然ながら「読み書きの力」で構成されていますわ。これを鍛えるには多読が最も良く、ひとまず300冊くらい読むのがよろしいでしょう――これがわたくしの主張ですわ。

 

この「300冊」という数字は、もちろんザックリしたものですけれど、まったくの無根拠という訳でもありませんわ。宇佐美寛お嬢様(80代, 男性)が『大学の授業』という著書で次のように仰っていたのを参考にしたのですわ。

 

 ところが、学生の社会的経験はまだきわめて貧弱である。また、読書もろくにしていないから、他の人の経験を文章によって知るということも少ない。要するに無知であり、頭の中にろくに貯えがない状態である。しかも、なお悪いことに、学生は自分がいかに無知であるかを自覚していないし、したがって無知を克服しようという努力もしない。要するに怠惰なのである。
 このような無知・怠惰な学生たちに対して講義などしてはいけない。「講ずる」という方法に合うような抽象的・包括的な言葉を一方的に長時間与えていたら、学生はなおたるむ。受身になる。講義の言葉がどんな事実に対応しているかがわからない。なにしろ、対応させようにも、そのための事実の知識の貯えが無いのである。
 講義などせず、おおいに本を読ませねばならない。
(中略)
 学生には、「これを含めてもいいが、とにかく一年に少なくとも百冊読みなさい。わずか百冊も読まないような者は学生扱いする気がしない。」と言う。一年に百冊は三日に一冊弱だから多くてたいへんなような気がするかもしれない。しかし、読みなれると速く読めるようになる。たいした冊数ではない。

大学の授業 | 宇佐美 寛 |本 | 通販 | Amazon

 

わたくしは「生まれてから今までに読んだ活字本」と言いましたわ。年単位の区切りではありませんから、とりあえず100冊より多いのは当り前ですわ。また、宇佐美寛お嬢様はこれを大学の新1年生に仰ったのだし、大学は普通は4年間ありますわね? したがって、初めは「年100冊 x 4年 = 400冊」と言おうと思ったのですわ。

けれど、厳しい気がしましたし、そこは多少割り引いてさしあげることにして、キリ良く「300冊」としましたわ。今でも我ながら良い線いってると自賛してましてよ。

 

――ただ、「エンタメフィクションを含まない」は考えてみると余計でしたわ。自然な日本語を読み書きできるようになるのが第一目標ですから、含めてもいいですわ。でも100%フィクションなのはやっぱり困りますけれど。理由は次に述べますわ。

 

「多読」による知識の獲得が大切でしてよ

これは最初の記事で述べなかったので後出しになりますけれど、多読には「読み書きの力の向上」に加えて、「知識の獲得」というとても重要な役割がありますわ。本をあまりお読みにならないお嬢様は、そもそも議論できるテーマやジャンルを持っていませんの。常に「いっちょがみ」にならざるを得ず、十分な議論は出来ませんわ。

 

たとえば、私は「釣りのやり方」「お魚の種類やそれぞれの特性」について何も存じ上げませんわ。したがって、「釣りについて」の議論には参加できませんわ。

私は「反論のやり方」は他のお嬢様に比べても異様かつ無駄なレベルで知っている自覚はありますから、相手の論の欠点をなにか1つでも突く――それくらいは出来るかもしれませんわね? でも、それだけですわよ。

釣りに関して「正しくはこうですわ!」とは言えませんし、「なぜ間違いか?」も論理構造の次元でしか説明できませんわ。つまり、肝心要の中身・内容に関しては、まるきりノータッチにならざるを得ませんわ。

 

先程の宇佐美寛お嬢様も、「討論」について、ご自身が弁論部に所属していらしたご経験から『内容の勉強をしないで弁論だけ鍛えるなどということは不可能なのである。』(前掲書, p.221)と書いておりますわ。この見解に私は心より同意いたしますわ。

本を読まないネット議論お嬢様がたにお尋ねしますわ。

あなたたちは、一体『何について』お話しするつもりでいらっしゃるのかしら?

 

たとえば「表現の自由」についての議論に、たかが関連書籍の一冊さえ読まずに参加しようだなんていうのは、わたくしからは全く愚劣なナンセンスに見えますわ。もちろん、Wikipediaの記述と相手の論で違う箇所を探すなんていう些末な事務作業は、ヤフコメに一行批判を書くばかりが能の下々の者に任せておけば十分でしてよ。立派なお嬢様を志すあなたは、その時間で一冊でも多く本を読むのですわ!

 

改めて振り返ると、当ご記事のターゲット層は強くなりたいと思っている(少し言い換えてますわ)ネット議論初心者お嬢様ですわ。でしたら遠回りして本など読ませずとも、素直に過去の議論集を見て貰えば良いのですわ。

(同記事、コメント欄:てんこ様)

 

議論に強くなりたいなら、本を読むのは決して『遠回り』ではなくってよ。『過去の議論集』もそれはそれでお勉強になってよろしいけれど、「論法」ではなく「中身の知識」を獲得するには、本が依然として格別に優れていますわ。

 

議論力の向上はそれで十分でして?

 

さて。てんこ様は次のようにも述べておりますわね。

 

さて、方針が決まったところで次は議論解析のコツのお話ですわ。議論の棋譜を探す場所は、今ならTogetterまとめでございましょうかしら(余談ですけれど、一昔前のBLOGOSが個人的には理想郷でしたわ)。コメントもある程度盛況のようですわね。意識するポイントとしては、①主張を短く言うと何? ➁その目的は? ③基準(尺度)は何を採用なさったの? ④根拠はどの程度おあり? このたった4つだけで良いのですわ。基礎を考えるという意味においては、議論の型はそこまで多くございませんわ。書く時もこれを意識していれば、多少日本語が不十分でも論自体が崩れることはそうありませんわ。先にご紹介されてたBランクお嬢様ですら、これの一部が出来ていないという指摘が通せるほどでしてよ。たった4つ意識するだけでも、練度を挙げれば十分に上位お嬢様まで通用しますわ。

・・ちなみにものすごく偉そうに書いておりますけれど、きちんと白状しておくと、これら(特に②~④)を発見して丁寧に記事にまでなさっているのは手嶋様ご自身ですわ。どなたか読んでくださっているのかどうか分かりませんけれど、折角なのでリンクを貼ると下記3点ですわ。全部マジで最の高ですわ。ここは本当に読んでいるだけでランクが上がって行きますわ。手嶋様は300冊読破のお勧めよりご自身のブログをご紹介なさったほうがよろしかったのではなくて?

1.目的と手段の相性という考え方/議論で「ゆっくりする」ためには - 手嶋海嶺のゆっくり生活(ネット議論・日常生活)

2.主張には、根拠が要る。 - 手嶋海嶺のゆっくり生活(ネット議論・日常生活)

3.【ゆっくり日記】「正しさ」に関する基礎的理解/ゆ虐に見る権力闘争 - 手嶋海嶺のゆっくり生活(ネット議論・日常生活)

 

①~④を意識するのは大変素晴らしいことと思いますわ。また、わたくしの記事をお褒めいただいて、とても恐縮ですわ!

 

けれど、『300冊読破のお勧めよりご自身のブログをご紹介なさったほうがよろしかった』とは思いませんわ。3つの記事は、いずれも議論の基礎構造について述べたものですから、基本的に「一般化した抽象論」ですわ。

 

もちろん、抽象論といっても、読者お嬢様の役に立つ内容にはしたつもりですわ。ですが、それが「あるある!」「役に立つ!」と思えるのは、現実の事例を沢山ご存知の特別な読者お嬢様だけですわ。

まさにここでも、宇佐美寛お嬢様が指摘した『講義の言葉がどんな事実に対応しているかがわからない。なにしろ、対応させようにも、そのための事実の知識の貯えが無いのである。』という問題が作用するのですわ。

たしかに、わたくしの記事で扱ったテーマは「議論の方法」でした。この場合の「知る手段」は、てんこ様の仰るような「過去の議論集を読む」でも良いですわ。実際、一番良いかもしれませんわ。ただ、議論のテーマが「議論の方法」そのものであるというのは、ぶっちゃけかなりのレアケースですわ!

 

やっぱり、読書は必要でしてよ!

 

余談としての先日のお話でしてよ!

知識が議論にとってどれくらい重要かを、補足説明しますわ。

先日の記事では、魔女狩りの異端審問官」が出てきましたわね。わたくしは魔女狩りの異端審問官」と「アツギタイツ騒動のツイフェミ」は同じ本質的範疇には属さないという論を述べましたわ。

この点を丁寧に論じるのが趣旨ではなかったから省きましたけれど、当初はもっと細かく書く予定でしたわ。というのも、『魔女狩り』については、わたくし数年前の時点で関連書籍を読んでいるのですわ。次の3冊ですわ。

 

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たかが3冊でドヤるつもりはありませんわ。ですけれど、私は『魔女狩り』について、Wikipedia斜め読みお嬢様なんかよりは、遥かに詳細かつ緻密な議論が展開可能ですわ。たとえば、魔女狩りが発生した社会的・文化的背景、実際の異端審問の記録文書、異端審問で使われる「審問」の実務マニュアル、犠牲者となった方の悲痛な声(処刑直前に家族あてに遺した手紙が複数残っていますわ)、処刑の実態といった諸々の知見は引用して論じられますわ。

 

ええと、「アツギタイツ騒動のツイフェミは、魔女狩りの異端審問官と同じ」でしたかしら?

よく言えましたわねぇ……。立派なものですわ。心臓が強いですわ。あなた、歴史クラスタお嬢様が怖くないんですの? ゆ虐クラスタお嬢様の私でさえこの程度の知識はあるのに、向こう見ずにも程がありますわ!

 

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論敵が無教養だとは思わないほうがいいですわ。そもそも特に魔女狩りなんて、いかにもそんな話に無駄に詳しい「特殊お嬢様」が生息していそうなジャンルに踏み込むのは危険ですわよ!(私は3冊分の知識しかありませんから『詳しく』はないですわ。歴史クラスタお嬢様に惨殺されますわ。)

 

あと、ついでに言えば、魔女狩りの異端審問官と、文化大革命紅衛兵は同じ」という類似論法でも崩せますわ。文化大革命・上下巻』『毛沢東の大飢饉』『文化大革命五十年』『文化大革命に到る道―思想政策と知識人群像』くらいはお部屋の本棚にありましてよ。

 

 お嬢様は、読書を嗜むものと昔から決まっておりますわ! 私もまだまだ足りないでしょうから精進いたしますわ。一緒に頑張っていくのですわ!

 

お嬢様のための議論講座 Part.3:実際のネット議論を検討してみますわ!

ネット議論お嬢様の皆様がた、本日も『お嬢様のための議論講座』を行なって参りますわ!

 

中35お嬢様が、ちょっと迂闊で粗忽なアンチフェミお嬢様をシバいて遊んでらっしゃいましたわ。今回はその実際の議論を通じて、「なぜアンチフェミお嬢様は簡単にシバかれてしまったのか?」を細かく解説しますわよ。

発端は次のツイートですわ。

 

 

この時点では、色々な反論が可能ですわ。『タイツメーカーが性的なPR』については、ヒトシンカお嬢様がお書きにあった『ラブタイツ』(Censoyclopedia)のURLをペタリと貼れば完全に潰せましてよ。(とても良いお勉強になりますから、リンク先は必見ですわ!)

 

けれども、このツイートに噛み付いたお嬢様は、前記の通り迂闊で粗忽だったと言わざるを得ませんわ。

 

 

なぜ、しなくてもいい無茶をしますの!?

毎回毎回同じパターンで破滅しているのですから、そろそろ学習するべきですわ。わたくしが中35お嬢様の立場だったら、このリプライがついた瞬間に「この方には勝ちましたわ。」と勝利宣言を致しますわ。

いろんな反論が出来ますけれど、今回は大きく2パターンに分けて紹介致しますわ。

 

反論パターン1:「言ってない。」

まず、引用がありませんわ。いつも指摘させて頂いておりますけれど、引用は必須ですわ。『ただし「性的」かどうかを決めるのは、自分たちの気分次第!』という文は、この時点では野良猫丸お嬢様による印象論に過ぎなくってよ。とりあえず「アツギタイツの件でクレームをつけてきたツイフェミ全体」についての印象論かしらね? この印象論が、ちゃんと正当で正確な概括であると言える根拠が必要ですわ。

 

けれど、その根拠だけではまだ足りませんわ。お相手のいる話ですから、「中35お嬢様も確実にそれに含まれる。」という根拠も別途必要ですわ。だって、想定しているグループに該当してなかったら知りませんものね。

つまり、次の2つの根拠が最低限、要求されますわ。

 

1.「自分たちの気分次第!」という印象論が正しくツイフェミ全体の性質を表しているという根拠。

2.かつ、そうしたツイフェミに中35お嬢様が含まれているという根拠。

 

確かにわたくしも、漠然とツイッターおタイムラインを眺めていると、ツイフェミらしき人々の一貫性のなさ(「自分たちの気分次第!」)は感じますわ。「同感でしてよ。そんなイメージ、ありますわ!」くらいは言って差し上げられますわ。

ですが、個別具体的な言説を引用せず、自分の中で思い浮かべたイメージに対して批判した場合、「それって、あなたがイメージするツイフェミへの批判ですわよね? 【わたくし】と関係があって?」という再反論がキツいですわ。指摘されてからの後出しでもいいですけれど、すみやかに根拠を出さないといけませんわ。

 

これは立場を逆転させてみると分かりやすいですわ。たとえばこうですわ。

「アンチフェミニストって、女性ツイッタラーにDMで猥褻画像を送信してばかりいるイメージがありますわ。最低でしてよ! あなた、最低でしてよ!」

と言われた時、「少しお待ちになってくださいまし?」ってなりませんこと? 

 

とりあえず、アンチフェミニストは女性に猥褻画像を送付する習性があるという印象論が正しい根拠と、わたくし自身もまたそんな性加害アンチフェミニストに含まれると判断された根拠を両方要求したくなりますわよね? 同じことでしてよ。

 

実際、中35お嬢様にそう返されていますわ。

 

 

『それ君が考えるフェミの主張、じゃん。』は議論として見たとき、ただ真っ当な指摘ですわ。

 

反論パターン2:類似による論証の不成立を指摘する

もう一度、初めのツイートに戻りますわ。

 

 

ここで魔女狩りする異端審問官』文革の近衛兵』が持ち出されていますけれど、それって本当に「ツイフェミのアツギタイツ批判」と類似していまして?

 

――というお話に入る前に、ひとまず野良猫丸お嬢様が使っている論証法について説明しておきますわ。

 

この論証法は「正義原則(rule of justice)と類似からの論証」と呼ばれていますわ。正義原則の意味は「同じ本質的範疇に属するものは同じ待遇を受けるべきである。」というルールですわ。

これだけじゃ意味が分からないと思いますから、具体例でお話しますわ。

 

たとえば、

「ボクシングでは体重階級制を設けて勝負を公平にしている。よって、バレーボールでも身長階級制を設けるべきだ。」

これはまさに正義原則と類似からの論証ですわ。ボクシングとバレーボールはスポーツという点で同じ(類似している)――だったら、待遇も同じにして、不公平のないような仕組みを作らねばならない、と論じる訳ですわ。

説得力のある議論の「型」のひとつですので、「正義原則と類似からの論証」という特別なお名前がつけられてますのよ。

 

野良猫丸お嬢様の話を、上の論理構造が分かりやすいように書き直してみましょう。

 

魔女狩りをする異端審問官、文革紅衛兵、アツギタイツでのツイフェミの3者は、「A(魔女・黒五類・性的表現)であるかどうかを決めるのは自分次第」としている点で類似している。そして、異端審問官、近衛兵は明らかに批判されるべき存在である。したがって、ツイフェミも同じく批判されるべきである。

 

黒五類文化大革命において、革命の敵とみなされた5種類の階層(地主、富農、反革命分子、破壊分子、右派)の人々のこと。対立する概念は紅五類(革命幹部、革命軍人、革命烈士、工人、農民)で、こちらは優遇された。お歴史のお勉強ですわね!

 

まあ、こんなところかしらね?

で、問題はこの3者に類似関係が成立するかですわ。根拠は「同じ本質的範疇に属する」という一点にかかってますから、「それらは同じ本質的範疇には属さない」とより説得的に論じられた場合は、無効化されますわ。

 

議論講座っぽいテクニカルな話題ですわね! わたくしも興奮していてよ!

 

――とはいえ、結論をさっさと申し上げると、わたくし、さすがにそれは同じ範疇にないと思いますわ。無理がありますわ。

 

だって、「性的表現かどうか」はもともと自分の主観で決めていい事柄ですし、対象も人ではなくてイラストですわ。対象として、魔女・黒五類・性的表現と並べて書いた時、「ん?」ってなりませんこと?

また、主体の方に着目しましても、異端審問官・紅衛兵・ツイフェミと並べることにやっぱり違和感がありますわ。社会的立場と現実に行使できる権限が違いすぎますわ。

 

特に、ここで問題視されている共通性は「自分の不合理な決めつけに対して、合理的な異論・反論が加えられても誤りを認めないこと」あたりでしょう? それだけの条件なら普通に「偏屈」「頑固」「狭量」あたりでいいんじゃないかしら。いきなり異端審問官や紅衛兵まで飛びますの? 

 

少なくとも「(判断の結果として)人々を虐殺するか、しないか」という特徴の有無は、ふつうは相当の「本質的なレベルでの違い」と判断されるはずですわ。

 

加えて、虐殺の有無の違いを無視して、なんとか「同じ本質的範疇に属する」と言うにしても、次の条件を充たすかどうかが問題になりますわ。

 

1.ツイフェミお嬢様は「アツギタイツの広告が性的表現であること」が合理的に立証できていない。(「魔女」と同じく不当な言いがかりである。)

2.それにも関わらず、ツイフェミお嬢様は不合理に(正当な理由なく)撤去を押し付けている。(「魔女」とみなした者を処刑している。)

 

1をツイフェミお嬢様の立場から覆すのは簡単ですわ。問題のアツギ広告イラストに「エロエロですわね!」という趣旨でツイートしたお嬢様を、片っ端から「当該イラストを性的だと捉えた実例」として引用しまくればいいですわ。おツイッターの多様性ならきっと楽勝でしてよ。「ごく特殊な感性をお持ちのお嬢様だけのこと」と抗弁するにはキツい数くらいは集められると思いますわ。

そうすると、やっぱり類似関係が成立しなくなりますわ。「不当な言いがかりか、そうではなく正当な評価か」は明らかに「本質的なレベルでの違い」ですわ。

 

まとめ

今回の件から導き出される、ネット議論における「ありがたい教え」は次の通りですわ。

 

1.引用無しに印象論を述べても、論敵には楽々と逃げられてしまいますわ!

2.「正義原則による類似からの論証」を使うなら、「類似性」は慎重に検討するべきですわ!

 

お嬢様力の向上のために、わたくしも気をつけて参りますわ!