ネット議論お嬢様講座 Part.6:呉智英お嬢様に学ぶ「帰謬法」

今回は反論法のひとつ、「帰謬法」を扱いますわ。

 

今日たまたま呉智英お嬢様『日本衆愚社会』を読んだからですわ。このお嬢様は人権論を手厳しく批判することで有名でして、実際に「差別もある明るい社会」みたいなことを言って物議を醸したこともありますわ。あと民主主義に対抗して封建主義の復権を目指したりもしていますわ。変わったお嬢様でしてよ。

ともあれ、昔から論客として非常にお強いお嬢様ですし、著書の意見内容に賛同するにせよしないにせよ、ネット議論お嬢様の参考になると思いますわ。

 

呉智英お嬢様は、前記の本の中で、お朝日新聞の松下秀雄お嬢様に次の反論をしておりますわ。

 

 シールズがまだ活動中の2015年10月25日付の朝日新聞編集委員の松下秀雄がこんなことを書いている。

「私はSEALDsの若者たちに敬意を抱いている。『戦争法反対』と唱えているからではない。主張の中身はさまざまでいい。自分の頭で考え、言葉にする。『私は嫌だ』といえる。空気に流されにくい社会をつくる、それをめざし、圧力に負けずに取り組んでいるからだ。それこそ、この国の民主主義にとって大切だからだ」

 シールズより数年前、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)が結成された。その名の通り、既成政党や労組とのつながりのない市民一人一人が集まって結成された市民運動団体である。たぶん松下とは「主張の中身」は違うだろうが、それは「さまざまでいい」はずだ。それよりも「自分の頭で考え」「『私は嫌だ』といえる、空気に流されにくい社会をつくる」べく「圧力に負けずに取り組んでいる」ことが「大切だ」。松下はこれにも「敬意を抱」くのだろう。

 在特会は「自分の頭で考え」たからこそ駄目なのではないか。馬鹿の考え休むに劣る。朝鮮人は嫌だと言えばいいわけではない。圧力に負けず、空気に流されなければいいわけではない。

 松下の小論で評価すべき点が二つある。一、シールズと在特会が同類であることを暗に指摘したこと。二、両者が「民主主義にとって大事」だと、これも暗に指摘したこと。

呉智英『日本衆愚社会』(小学館新書, 2018)

 

 お朝日新聞の松下お嬢様が漠然とした一般論を根拠にシールズを擁護したので、呉智英お嬢様が「その一般論は在特会にも当てはまるが、お前はそれを認めるということでいいのだな?」と詰め寄っている形ですわね! 

これは反論のひとつの形式として憶えておいて良くってよ。名前は「帰謬法」と言いますわ。

 

この反論法では、相手が自分の主張を正当化するために用いた根拠を利用しますわ。

 

松下お嬢様の主張:シールズは素敵ですわ!

正当化根拠①:自分の頭で考えることが大事でしてよ!
正当化根拠②:「私は嫌だ」と言えることが大事でしてよ!
正当化根拠③:圧力や空気に負けない(抵抗する)ことが大事でしてよ!

 

呉智英お嬢様が論じている通り、根拠①~③は在特会にも当てはまりますわ。ですから、松下お嬢様は在特会は素敵ですわ!」とも必然的に主張しなくてはなりませんわ。それはお朝日新聞の松下お嬢様にはきっと耐え難いことでしょう。

相手が使った一般論に基づいて、相手が認めたくない主張(または、明らかに不条理な主張)を正当化することで、対象の議論が誤っていると示す――これが「帰謬法」ですわ。

(※「帰謬法」はもっと細かい意味、異なる意味もありますけれど、この記事ではこの程度に限定しておきますわ。後々知れば良いことでしてよ。)

 

とはいえ、注意点もありますわ。

 

帰謬法を使って批判した場合、相手の開き直りには弱いですわ。この場合ですと、松下お嬢様が、建前論としてでも「ああ、そうだ。在特会の人たちのような主張があるのも大事だし、彼らの意見に賛同こそしてないないものの、敬意は抱いている。」とお返しになった場合、それ以上は踏み込めませんわ。(この言質を取ったことで「議論の目標は達成できた。」と考えることもできますけれど。)

 

また、後付けでも、両者(シールズと在特会)を差別化できる根拠を述べられた場合、もういっぺん考え直しになりますわ。たとえば、在特会ヘイトスピーチをしている極めて悪質な集団である。私の考えでは、ヘイトスピーチは民主主義そのものを破壊する言論である。取り上げた一般論だけで何でも同じ扱いにする訳ではない。例えば、単に①~③の条件を充たすだけならオウム真理教もそうだろうが、いちいち『テロ行為をしている場合はこの限りではない。』などと書く必要はないはずだ。」という返しは有り得ますわね?

 

このあたりは、どちらがより説得的な議論を展開できるかという「力」の勝負になりますわ。自分が誰かの論を批判するのに帰謬法を使う場合は、こうした返し技に注意しつつやっていくことですわ。逆に、自分が立論する場合は、「わたくしが使った根拠は、何か不都合な主張まで正当化してしまいませんこと?」とよく検討することが大事ですわよ。

 

こんな細かい注意点があっても、「帰謬法」はけっこう強い反論法ですわ。というのも、帰謬法では、相手が使った根拠をそのまま自分の反論の根拠に使うので、相手は「知らねえよ。」と返すことが出来ませんの。

 

たとえば、論戦の相手がキリスト教徒で、主張を正当化する根拠に聖書の一節を持ち出してきたとしましょう。キリスト教徒ではない私は「知らなくってよ! わたくしには関係ありませんわ!」と返すだけで構いませんわ。

けれど、わたくしが聖書の別の一節を持ち出してきて、相手に「あなたはこれにも従いますの?」(聖書は古い本ですから、現代的な道徳観・人権観とは相容れない記述が多数ございますわ。)と突きつけるのは有効な反論ですわ。キリスト教徒なら、「聖書なんて関係ありませんわ!」とは言えませんものね。

帰謬法はこの性質から、「相手の神を利用して相手を撃つ論法」と呼ばれたりもしますわ。

 

――と、今回はいつもより短いお記事になりましたけれど、別に長けりゃいいってもんでもないですわ。

一流のネット議論お嬢様を目指して、わたくしも頑張りますわ!