【ゆっくり日記】アタラクシアとしてのゆっくりぷれいす
すごい金額の預貯金があって、毎日すごくおいしいものが食べられて、素晴らしい恋人とたくさんの愛人がいて、しかも周りが自分を尊敬し、褒めまくってくれる、とかだろうか?
それはなかなか難しい。現実に達成する人もいるがまれである。もう少し手軽なゆっくりぷれいすはないものか?
現実的な制限を考えると、どうしても大半の人は妥協せざるを得ない。しかし、妥協しようにも外界のことはやはりどうにもならない。たいていの人は労働がやめられない。生活が苦しい。
そこで、心の中にあるゆっくりぷれいすが目指すべき対象の、少なくとも一つとなる。
古代ギリシャが(あるいは古代ローマだったかもしれないが、とにかく昔の地球の北半球にある特定の地域である)誇る哲人の誰かは、そのゆっくりぷれいすのことを「アタラクシア」(魂の平穏)と呼んだ。
アタラクシアにたどり着きたい。