チーズバーガー2個はセックス1回分の快楽物質を放出するのか?~脳科学的見地から~

  Twitterネット論客として有名な青識亜論氏が次のように述べていた。

 

愛のあるセックスですが、快楽物質の総量はチーズバーガー2個分だそうです。恋愛による多幸感を加味してもその量。コスパ悪いですよね。

午後1:52 · 2021年4月18日

 

 これを読んだ時の私の反応は「……本当に?」である。

 「快楽物質の総量」は値として客観的に測定できるはずだ。「愛のあるセックスの快楽物質の総量は、チーズバーガー2個を摂取した時のそれと等しい」という主張をするからには、そのことを示す科学的なデータがなければならない。

 しかし、はたしてそんなデータはあるのかと、大変疑問に思ったのである。

 

 というのも、上記の主張を正当化するような実証実験を行う場合、けっこう難しいはずだからだ。私がパッと思いつく範囲でも、次の測定結果が必要である。

 

  1. 「愛のあるセックス」をしている最中の快楽物質量の測定結果。
  2. 対照試験として「愛のないセックス」(マスターベーションでも可か?)での同様の測定結果。
  3. チーズバーガーを1個食べた時の快楽物質量の測定結果。
  4. チーズバーガーを2個食べた時の快楽物質量の測定結果(※チーズバーガーの個数に応じて、快楽物質量が1次関数的に増加する=Aが2倍になればBも2倍になるとは限らないため)。

 

 確かにfMRIやPETなどの技術を使えば、例えばドーパミン分泌量のリアルタイムでのモニタリングは不可能というわけではない。しかし、個人差や体調差もあるだろうから、一定の結論を得るには、被験者数および試行回数はそれなりに用意せねばならないだろう。

 

 また、1~3の実験を行って、本当に「愛のあるセックスの快楽物質の総量は、チーズバーガー2個を摂取した時のそれと等しい」というデータが得られたとしても、その解釈は当然ながら問題になる。快楽物質の「総量」で同じでも、「ピーク濃度」が異なるから、やはりセックスの方が遥かに格上の快楽体験であるという可能性はあるからだ。

 これは少しわかりにくいと思うので説明する。

 

 例えば、お酒を飲んだときのことを考えてみよう。幸いアルコールについては、血中アルコール濃度と身体自覚症状の関係がだいたい分かっている。次の表の通りである。

 

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https://www.kojundo.blog/legalmedicine/2428/

 血中アルコール濃度0.5 mg/mLの状態で90分過ごすことと、血中アルコール濃度1.5 mg/mLの状態で30分過ごすことは、確かに「総量」としては同じである。しかし、「酔っ払って楽しい気分」になれるのは、後者の30分のほうだけであり、前者の90分は無症状または「ほろ酔いかな?」くらいある。

 「酔っ払って楽しい気分になる」(=快楽を得る)には、血中アルコール濃度のピークの高さが一定の値以上になることが大事なのであって、薄い濃度で長い時間を過ごして「全時間を合計したときの総量は一緒になった!」というのは、快楽に対してあまり意味がない考察である。

 

 少し難しい話をすると、一般に、薬剤の投与量とその反応(例:アルコールの摂取量と酩酊状態の度合い)は、用量反応曲線と呼ばれるものに従う。ある薬剤を2倍量を飲んだからといって、効き目もキレイに2倍になるということは、基本的にない。下のグラフで用量(投与量)が対数であることに注目してほしい。

 

薬理 用量反応曲線 - YouTube

 

 薬理作用(効き目、効能)を得るには、ある限られた時間内に、特定の閾値を超えることが大事なのである。病院でもらった1日分の薬を、勝手に10分割して10日かけて飲んだら、たぶん何の効果もない。逆に10日分としてもらった薬を、まとめて1日で飲んで、残りの9日は飲まないということをやったら、下手すれば死ぬ。 

 

 もうひとつ別の説明を試みよう。

 私たちは毎度の食事によってそう大した量ではないにせよドーパミンを分泌している。それを何十日分、何百日分も合計すれば、たしかにそのうち「ドーパミンの総量」は、覚醒剤やヘロインを1回摂取したときに生じるドーパミンの量にだって届く。というより、このブログ記事の日本語を読めるくらい成長している人たちは、もうとっくに「総量」としては麻薬投与換算(?)で何十回か分のレベルに達しているはずだ。塵も積もれば山となるである。

 しかし、その「総量」としての体験は、明らかに麻薬体験とは異なる。「短時間で高いドーパミン濃度になる」ということが大事なのだ。

 

 これに関しては、Cellに掲載されていた総説論文"The Brain on Drugs: From Reward to Addiction"でも書かれているので抄訳して紹介する(リンク先では無料で全文読める)。

 なお、抄訳は私によるので、英語を読める人はちゃんと英語で読むことをお薦めする。一応原文の英語もすぐ下につけておいた。

 

人を対象とした脳画像研究では、薬物によって誘発される急速なドーパミン増加は薬物乱用に伴う「ハイ」と関連し、緩やかなドーパミン増加は(「ハイ」な気分とは)関連しないと報告されている(Volkow et al., 2008)。具体的には、覚醒剤によってドーパミンの増加が短時間(10分未満)で達成された場合は脳の報酬系と関連し、60分以上かけて達成されたドーパミンの増加は(脳の報酬系とは)関連しなかった。

主観的な「ハイ」の時間経過が、コカインやメチルフェニデートなどの薬物による長時間のドーパミンの増加に比べてはるかに短いのは、薬物による脳への報酬作用に速度依存性があるためと考えられる。

これは、D1受容体とD2受容体への刺激が、薬物が急速に高いピーク濃度に達したときにのみ起こり、ドーパミンの濃度が低下し始めると、D2受容体が主に刺激されるためと考えられる(Luo et al., 2011 喫煙や静脈注射のように、脳内での薬物濃度が急速に高くなる投与経路が、経口投与のように脳内への取り込みが遅い投与経路よりも、依存性が高くなることの説明にもなる)。

Indeed, brain imaging studies in humans have documented that fast DA increases triggered by drugs are associated with the “high” associated with drug abuses, whereas stable DA increases are not (Volkow et al., 2008). Specifically, when large DA increases triggered by stimulant drugs were achieved over a short time period (<10 min), they were associated with reward, whereas DA increases achieved over 60 min were not. The rate dependency for a drug’s rewarding effects might explain why the time course of the subjective “high” is much shorter than the longer-lasting DA increases triggered by drugs such as cocaine and more notable methylphenidate (Figure 1). Presumably, stimulation of D1 and D2R only occurs when drugs achieve fast peak concentrations, whereas as the concentration of DA starts to decrease, D2R are predominantly stimulated (Luo et al., 2011). This may also explain why routes of administration that achieve faster and higher drug levels in the brain, such as smoking and intravenous injection, are more rewarding and addictive than routes of administration that result in slow brain uptake, like oral administration.

 

 さて。かなり遠くまで来てしまった感があるが、話を「チーズバーガーとセックス」に戻そう。

 青識亜論氏は、「快楽物質の総量で考えたとき、セックスはコスパが悪い」という旨の主張をしたが、上記の論文の記述からすると、「総量で考えるのが間違っている」というべきだろう。仮にセックスがドーパミン濃度を急速に高くできる行為であり、チーズバーガーはそうではない(緩やかに低いままである)なら、コスパが悪い」という解釈も成立しなくなる。チーズバーガーでは、セックスで到達できる「(快楽物質としての)パフォーマンス」に届かない可能性が十分あるからだ。とりわけ、快楽物質のピーク濃度という観点で、「セックス>チーズバーガー」という関係が成立する場合はそうである。

 

 ピーク濃度の話はこれくらいにして、別のツイートに移ろう。青識亜論氏は次のように述べている。

 

いや、ごく当たり前に、「セックスの快楽物質の量」は「性愛」という人間関係や営みのごく一部でしかない、そこには他者からの承認や、相互理解やコミュニケーションから生まれる様々な喜びがあるのだ、という反応を予想したのですけど。

https://twitter.com/BlauerSeelowe/status/1384456199723130881

 

 上記の論には残念ながら欠陥がある。『他者からの承認や、相互理解やコミュニケーション』でも快楽物質(ドーパミン)は出てしまうからだ。以下、"The Rewarding Nature of Social Interactions"から引用する。

 

ヒトを対象とした機能的イメージング研究のデータによると、美しい顔(Aharonら、2001年)、肯定的な感情表現(Rademacher et al., 2010)、自身の社会的評価(Izuma et al., 2008)、母性愛や恋愛感情(Bartels and Zeki, 2000, 2004)など、さまざまな報酬を伴う社会的刺激に対して線条体の活性化が見られる。さらに、最近の研究では、肯定的な社会的評価を期待しているときに、側坐核(NAcc)、被殻視床核が活性化することが示されている(Spreckelmeyer et al., これらの知見は、金銭(Knutson et al., 2000)や食物(McClure et al., 2007)などの非社会的な結果を予期する際に見られる活性化と一致しており、社会的刺激の重要性と動機付けの可能性を強調するものである)。

このように大脳基底核ドーパミン報酬回路は、社会的行動の動機付けとなる様々な社会的刺激の報酬を処理するための主要な神経系であることが、様々な研究から明らかになっている。

Data from functional imaging studies in humans exhibit striatal activations for a variety of rewarding social stimuli such as beautiful faces (Aharon et al., 2001), positive emotional expressions (Rademacher et al., 2010), own social reputation (Izuma et al., 2008) and maternal and romantic love (Bartels and Zeki, 2000, 2004). Additionally, a recent study has shown activation of the nucleus accumbens (NAcc), the putamen and thalamic nuclei during the anticipation of positive social feedback (Spreckelmeyer et al., 2009). These findings are in line with activations found for anticipation of non-social outcomes such as money (Knutson et al., 2000) or food (McClure et al., 2007) and highlight the salience and motivational potential of social stimuli.
Altogether, there is evidence from a variety of studies that the dopaminergic reward circuits in the basal ganglia form the primary neural system for processing reward of various social stimuli which could motivate social behavior.

 

 青識亜論氏が『快楽物質だけの問題ではない』と主張したいなら、快楽物質が出ない行為を挙げないと厳密には理屈が通らない。「やはり、ドーパミンの放出を求めての行為ではないか」と指摘される余地が残る。

 

 快楽物質だけの問題ではないと明確に示すにはどういう実験をしたらいいだろうか。ひとつには、快楽物質の発生か、またはその受容体を「潰して」(ノックアウトさせて)しまって、それでもなお『他者からの承認や、相互理解やコミュニケーションから生まれる様々な喜び』を体験できるか試すことである(ここでいう「ノックアウト」は正確には特定の遺伝疾患を引き起こすことを指す)。

 

 とはいえ、さすがに人間でやるわけにもいかない実験である。というわけで、自閉症ヒト型モデルマウスや、CD38ノックアウトマウスというのが既に開発されており、さまざまな実験をされている(ノックアウトマウス=標的遺伝子破壊マウス)。

 

 青識亜論氏にとっては更に不利なことに、残念ながらこうしたマウスは社会的営みをとらなくなってしまう。同種との社会的相互作用が顕著に減少し、仔の養育を放棄するようになる。なお、これは教科書レベルの知見であるので、「自閉症 マウス」や「ノックアウトマウス」で検索するといくらでも出てくる。

 

 もちろんマウスでの実験結果を、安易にヒトに当てはめるのは飛躍であろう。しかし、「快楽物質がすべて」という説はさすがに乱暴だとしても、少なくとも「快楽物質がないと社会的営みに向けても動けない」くらいは言えそうである。快楽物質さえあればどうとでもなるという訳ではないが、快楽物質がなければどうにもならない。必要条件と十分条件の違いである。

 

 さて。そろそろ締めくくろう。

 ここまであえて触れてこなかったが、そもそも「快楽物質」という言葉は、学術的に定義されていない。少なくとも神経科学(neuroscience)の大学用教科書には出てこない。したがって、普通に考えると「快楽物質の総量を測定しました」と直接的に主張するような研究報告は実在しにくいように思われる。

 世の中に存在するのは、あくまでも快楽と関わりが深いとされている一連の神経伝達物質(具体的には、ドーパミン、β-エンドルフィン、オキシトシンオピオイド等)の分泌に関する研究である。「快楽物質」という言葉が、どの神経伝達物質を対象としているのか――いずれか1つなのか、いくつかの合計であるのか――によっても話は変わってくる。このあたりも含めて曖昧な話で、もともと無理があったように思われる。

 

チーズバーガー2個分よりも神聖な、高潔な、豊穣な、なにものかが性愛という営みに存在するって、みなさん心のどこかで信じているわけでしょう。じゃあ、なんで気軽に「降りろ」なんて口にするんですか。

https://twitter.com/BlauerSeelowe/status/1383989133140365324

 

 快楽物質をそんなに嫌うことはないように思われる。「神聖で、高潔な、豊穣な、なにものか」は、その根底において快楽物質を必要としている。社会行動を取る上で、快楽物質は敵ではなく味方である。少なくとも何も別に悪魔的で、下賤な、貧しいなにものかに堕するという意味ではないだろう。

 

  以上、ゆっくりできましたか? ゆっくりしていってね!!!