【ゆっくり日記】日記とは毎日書くものなり/ゆっくりとの日記

  日記は「毎日書くもの」と考えている人が多い。まるで「毎日であること」が「日記であること」の条件であるかのように。

 しかし、実は「日記」はあくまでも「その日についての記録」のであって、毎日更新の意味は含まれない。私はかの『日本書紀』からこの着想を得た。床下に潜り込んでいた日本書紀を引っ張り出して、「そろそろ片付けんとなあ」と嘆息しつつ本棚にしまう時、思いついたのである。稲妻のような思考が脳内を走った。

 では、毎日更新でなくてもいい日記の本題に移ろう。

 

 私、手嶋海嶺は―――誠に唐突ながら、ついに最近、ゆっくりぱちゅりーを飼うことにした。やはりゆっくり虐待クラスタの末席を名乗るなら、1ゆほどは飼っていないとダメだろう。ただ、経済的・スペース的問題から、通常よりサイズが小さくなるように人工的に作られたゆっくりにした。どうやら豆ゆとか、家ゆとかいうらしい。

 

 私は大昔にハムスターを飼っていたことがあったから、ぱちゅりーのための生活環境を整えるのはわりと楽な仕事であった。適当に掃除して、柔らかい床材を敷く。簡易トイレを設ける。ハムスター用ケージに放り込んだぱちゅりーは、しばらくきょーろきょーろと周囲を確認していたが、さっそくちょうどいい大きさの藁葺き小屋を見つけた。ゆっせゆっせと駆け込み、くるりと半回転して外に向けて叫ぶ。「ここをぱちぇのゆっくりぷれいすにするわ!」

 

 私は「今日からよろしく」とゆっくりフードの乗った小皿をぱちゅりーの前に置いた。「あなたがぱちぇのどれいね? ゆっくりありがとう!」そう言ってぱちゅりーはゆっくりフードをむーしゃむーしゃするのだった。

 少しばかり判断に迷った。どれい呼ばわりしてきたということは、ゲス個体なのだろうか。いや、その後にお礼をきちんと言っている。これはゲス個体にはできないことだ。ペットショップから買ってきたのだし、「初心者でもゆっくりの魅力が味わいやすい」と進められた銀バッチ個体だ。それなりの躾は受けているはずだ。

 

 まあ、関係性はおいおい深めていけばいいだろう。私はいったん読書に戻ることにした。

 

 

【ゆっくり日記】日記とは毎日書くものなり/ゆっくりとの日記

  日記は「毎日書くもの」と考えている人が多い。まるで「毎日であること」が「日記であること」の条件であるかのように。

 しかし、実は「日記」はあくまでも「その日についての記録」のであって、毎日更新の意味は含まれない。私はかの『日本書紀』からこの着想を得た。床下に潜り込んでいた日本書紀を引っ張り出して、「そろそろ片付けんとなあ」と嘆息しつつ本棚にしまう時、思いついたのである。稲妻のような思考が脳内を走った。

 では、毎日更新でなくてもいい日記の本題に移ろう。

 

 私、手嶋海嶺は―――誠に唐突ながら、ついに最近、ゆっくりぱちゅりーを飼うことにした。やはりゆっくり虐待クラスタの末席を名乗るなら、1ゆほどは飼っていないとダメだろう。ただ、経済的・スペース的問題から、通常よりサイズが小さくなるように人工的に作られたゆっくりにした。どうやら豆ゆとか、家ゆとかいうらしい。

 

 私は大昔にハムスターを飼っていたことがあったから、ぱちゅりーのための生活環境を整えるのはわりと楽な仕事であった。適当に掃除して、柔らかい床材を敷く。簡易トイレを設ける。ハムスター用ケージに放り込んだぱちゅりーは、しばらくきょーろきょーろと周囲を確認していたが、さっそくちょうどいい大きさの藁葺き小屋を見つけた。ゆっせゆっせと駆け込み、くるりと半回転して外に向けて叫ぶ。「ここをぱちぇのゆっくりぷれいすにするわ!」

 

 私は「今日からよろしく」とゆっくりフードの乗った小皿をぱちゅりーの前に置いた。「あなたがぱちぇのどれいね? ゆっくりありがとう!」そう言ってぱちゅりーはゆっくりフードをむーしゃむーしゃするのだった。

 少しばかり判断に迷った。どれい呼ばわりしてきたということは、ゲス個体なのだろうか。いや、その後にお礼をきちんと言っている。これはゲス個体にはできないことだ。ペットショップから買ってきたのだし、「初心者でもゆっくりの魅力が味わいやすい」と進められた銀バッチ個体だ。それなりの躾は受けているはずだ。

 

 まあ、関係性はおいおい深めていけばいいだろう。私はいったん読書に戻ることにした。

 

 

【ゆっくり日記】拷問・処刑・虐殺全書を読みました

 これな! ゆっくり虐待クラスタとしては、この本でなくとも、類似書籍はいくつか押さえておきたいですね。対象は人間ですが、彼らをゆっくりできなくする方法が網羅的に紹介されています。ゆ虐創作おにいさん・おねえさんは新たなアイデアが得られるかもしれません。

 

www.amazon.co.jp

 考えてみれば、ゆっくり虐待世界の拷問器具はほんの数パターンにとどまっていて、現実に比べてバラエティに乏しいところがあります。あと、「拷問」と「虐殺」はあっても、「処刑」はちょいレアですね。群れでせいっさいっが起きる場合、これは「処刑」に該当すると思いますが、木の枝でぷーすぷーすして体当たりを繰り返す、という描写がほとんどです。まあ、ゆっくりに可能な技術的限界とも言えますが、工夫次第でもう少し増やせる気もします。

 

 探せばそうした餡小説はすでにある可能性も高いですが、例えば、生き埋めや毒殺(=からいものを食べさせる)は出来そうですし、こちらの江戸時代にあったという石抱(いしだき)も設定次第では何とかなるかも。

 

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石抱

 また、本では「死刑になる直前の囚人の反応」も色々紹介されていて、想像力が刺激されました。ゆっくりの群れの制裁モノに援用・転用したら一風変わった迫力のある仕上がりになるかもしれません。ついでに「制裁(リンチ)に至るまでの集団心理」なども加えてリアリティを増し積みすればより良いでしょう。これも本でけっこう詳しく述べられています。ゆっくりに革命的思想を持たせて、イデオロギー衝突を起こさせても面白げです。ていうか私がそんなの読みたいわ。

 

 具体的な逸話が豊富なので、少なくとももう一回は再読して、自分なりに咀嚼したいと思います。とてもゆっくりできる……いや、ゆっくりできない……優れた本でした。

【ゆっくり日記】ぜんぜんゆっくりできていない

 ゆっくり日記を始めたものの、日常生活がぜんぜんゆっくりしていません。どうも手嶋海嶺です。仕事→仕事→仕事みたいなデスコンボが決まりまくっています。でも、ゆっくりの生活も結局ゆっくりしていませんからね。ある意味、「リアル」な体験ができているのかもしれません。(リアルとは一体????? ゆっくりは実在しませんが?????)

 

 私はだいぶ周回遅れで「ゆっくり」の世界を知ったので、めっちゃ古い餡小説を掘り起こし、ものすごく昔の動画(ニコニコ動画で【棒歌ロイド】タグとか…)を見たりしています。偉大な文化史の形成現場に立ち会えなかったのは残念ですが、落ち着いている分、評判の安定した作品が探しやすくはなっています。たとえば本日もTwitterで紹介させていただいた『もっとゆっくりでいいよ』はかなりの名曲です。

 

www.youtube.com

 また、ゆっくりの文化史は完全に途絶えたわけではなく、pixivではわりと新作も供給されています。たとえばゆっくり系マンガだと、今の所、こちらの作品『ペットのれいむ』がとてもゆっくりできて好きです。(虐待描写がほぼないですが……)

 

www.pixiv.net

 とはいえ、私は活字を読むのが好きなので、じゃあ餡小説の紹介を……と行きたいところですが、数が多すぎ&言いたいこと多すぎでいまいち心の整理がついていません。

 とりあえず一作品だけ、Twitterで言ったやつをここでも挙げておきます。そのうち「お気に入り餡小説まとめ!」みたいな記事を書きたいですね。

 

 

 あと自分の小説を増やしたいのですが、こちらはなかなか難航しております。先人の偉大さに打ちひしがれる。ゆっくりやっていきましょう。ゆっくりしていってね!!

【ゆっくり日記】手嶋のゆっくりせいかつ!

ゆっくりしていってね!!!

 前回の更新からずいぶん長い月日が流れた。何をしていたのかというと、ゆっくりしていたのである。しかし、いつまでもゆっくりしてはいられない。夏が終わり秋が訪れた。いずれ冬が来る。―――みなさんのおうちの備蓄は十分ですか? 恋人のいる方は、この時期におちびちゃんを作らないことも大事です。群れの長の言うことをよく聞きましょう。

 もう少しこのブログの更新頻度をあげようと、暇な時間にゆっくり考えた。ゆんゆんと唸りながら考えた。

 まず、高い更新頻度のジャンルといえば、なんといっても古来より「日記」と相場が決まっている。紀貫之の『土佐日記』なんかは聞いたことがあるだろう。では、それはいいだろう。しかし、有名人でもない人間の日常生活など退屈である。なにか特色を出さねばならん。私はトイレでうんうんをしてから、再び考え始めた。

 

 結果、「日記は日記でも、ゆっくり虐待ネタを用語等もふくめてバンバン使ってくる日記にしよう」というアイデアが可決された。これは日記ブログとしてはあまりやられていないだろう。クトゥルフ神話作品を楽しむために、ラヴクラフト全集や派生作品の基礎教養が要求されるように、私の日記を真に読解するには、ゆっくり虐待の知識が要請されます。

 要するに、ゆっくり虐待ネタをぜんぜん自制せずに使うということです。

 

 このところはこのご挨拶まで。【ゆっくり日記】シリーズ、ぜひともよろしくおねがいします。

私はアンチフェミだが勝部元気氏の多数支持否定論と対話不要論には賛成する。

note.com

  私は現代のTwitterフェミニズムについて、端的に「トチ狂っている」「アホである」「何もかもを間違えている」「頭の悪さは現世では治りそうにないので、来世に期待したい」と評価している。当然、フェミニストを自称している勝部元気氏のことも内心で愚か者扱いしていた。本当にクソたわけだと思っていた。じっさい、勝部元気氏の論述を読むような時間があるなら、実写版デビルマンを再視聴するほうがまだしも有意義くらいに評価していたのである。

 

 しかし、上の記事の内容には感銘を受けた。極めて正しい。

 勝部氏は次のように述べる。

 

「男女平等って多数の支持がなくても達成しなきゃいけないもの」です。

たとえば、先生が生徒のイジメの現場を見て、被害者に対して「イジメをやめて欲しかったらクラス内多数派の支持が必要ですよー」って言ったらどう思いますか?

「いや、多数派支持とか関係無くイジメはダメだろ」ってなるでしょう。被害が発生している状況の中で、多数派の必要性を殊更に強調する態度は加害者擁護に他なりません。

 

 いま現在、多数の人々が「容疑者」の段階で、真犯人のように報道することを平気で是としている。 性犯罪に手を染めていない「ロリコン」を、「犯罪予備軍」としてけなすことを正義だと思っている。自分たちが気に入らない「性的なもの」なら、それを公共空間から排除する権利が当然あるのだと信じ切っている。

 

 そうした人々が、己の考えを「対話」によって改めることなど有り得ない話である。少なくとも、マクロで考えた場合はそうである(個別例外として「反対だったが、賛成することにした」人も出るだろうが、そんなに大した数にはならない)。

 多数派の支持を基準にしていたら、どんな圧政・抑圧も原理的に正当化される。衆愚政の顕現である。あまり機能していないとはいえ、これを防ぐ建前として人権があり、憲法がある。

 

 また勝部氏は次のようにも述べている。こちらにも賛成である。

 

香港の民主派の若者も、自分たちと相対する警察との対話や、意見の異なる親中派(青色経済圏)との対話を推進するのではなく、政府に向かって大規模デモを展開したから逃亡犯条例改定案を覆せたのでしょう。

このように、必要なのは「加害をしている者との直接的な対話」や「立場や意見の異なる者との対話」ではなく、彼らを止めさせる権限を有する「意思決定権者(≒権力者)に向かって強く主張して行くこと」です。

逆に加害している者や意見の異なる者との対話によって成功した社会運動がどれほどあるのでしょうか? 残念ながら私はほとんど知りません。それは結局、対話する相手は「既得権益を手放したくない」と思っており、概ね不誠実だからです。

対話が成り立つのに必要なのは「対等な関係」と「誠実性」という2つの要件だと思いますが、既得権益ゴリゴリの彼らがこれを満たすことはほとんどありません。

 

  相手を得させるか、損させるかしなければ、振る舞いや制度を変えるわけがない。至極当然である。そして社会運動の場合、便宜供与(得をさせること)で相手を動かすのはほぼ不可能である。であれば、ストライキやデモ、あるいは究極的な手段としてテロ等によって大損をこかせるしかない。(もしかするとテロは良くないことだと言うかもしれない。しかし安心してほしい。成功したテロは「革命」と呼ばれる。もしもジハーディストが勝利したら、「邪悪なテロリズム」は本当に「米帝主義から自由を勝ち取った聖戦」として認定されるだろう)

 

  もちろん、対話不要は言い過ぎではある。身内の結束を固めるため、あるいは浮動票を獲得するため、対話路線はそれはそれであった方が良い。また本当に理屈がまったく通ってなかったら、さすがに成功は覚束ないものなるだろう。

 しかし根底において、暴力が対話よりも相対的にずっと重要なのは確かである。私は勝部元気氏とほとんど真逆の意見を持っているが、この基本的な現実認識に関しては深い同意を表明する。

ツイフェミ等の現代左翼による「魔女狩り」~差別という「悪」を排除することの問題~

 「ツイフェミ」と呼ばれる有名なアカウントがいくつかあったのでフォローしてみた。そしてざっくり読んだ。だいたい何もかもが破綻している。破綻しているだけならまだしも、差別・排外を助長しているとしか思えない論もある。たとえばセクシャルマイノリティの権利である。彼らはLGの権利はうるさく言うが、BTとなると手薄になるし、PZNとなるともはや攻撃排除対象である。左翼運動がお題目にしている「セクシャルマイノリティを守る」という話はどこへ行ったのか?(それとも、「フェミニズム」はセクシャルマイノリティの権利には無関心なのだろうか。それならそれで、納得はいく)

 

 個人的なことだが、人権、倫理、道徳といったものを考える時は、決まって中世ヨーロッパで長きにわたって跋扈した悪習、「魔女狩り」について思い出さざるを得ない。「魔女狩り」は色々な意味で示唆的だ。単なる前時代的な思い込みや宗教の暴走と切って捨てられない部分がある。

 

 「魔女狩り」は当世一流のインテリ層によって正当化されていた。それもしぶしぶ、たとえばキリスト教教会が怖くて仕方なく正当化に寄与していたのではない。自主的に、積極的に魔女狩りを推進すべきだと論じていたのである。「4つのイドラ」を唱え、近代合理主義と科学的思考の道筋を拓いたフランシス・ベーコンですら例外ではなかった。こう言えば、少しはどれくらい「魔女狩りは正しいこと」と思われていたか伝わるだろうか。その他にも、ベーコンほど名前は残らなかったものの、多くのインテリが「さすがに魔女を排除するのは正しいことだ!」と自主的かつ積極的に主張してやまなかった。科学研究を推進するロンドン王立学会のメンバーでも例外ではなかった。そして、民衆もやはりそれに乗ったのである。

 

 ただ、もちろん反対者もいた。「異端審問では自白させるために過酷な拷問を使っていて、これでは誰もが嘘でも自白してしまう」と声高に言った人もいる。コルネリウス・ルースは著書『妖術の真と偽』で異端審問・魔女裁判の非合理性を強く批判した。なお、コルネリウス・ルースは科学者ではなく神父であった。他にも何名かいる。詳細は「魔女狩り」に関連する書籍を適当にあたってもらいたい。(検索すればすぐ出る)

 

 私たちが何らかの「悪」を排除するとき、必ず理屈での正当化が行なわれる。それはしばしば「まったく間違いのないことだ」「これほど正しいことはない」という確信を伴う。しかし、この正当化とそれによる確信は、非常に危ういのである。なにしろそのような確信は、「魔女狩り」を推進していた人の多くも持っていたのだから。

 「もっともらしい理屈」は決して当てにならないのである。とりわけ人を排除・排外するときはそうである。

 

 性的搾取や性的モノ化といった用語を使えば、上のような「もっともらしい理屈」は作ることができる。一部のインテリを深く信じさせることもできるだろう。だが、ある目的のために特定の表現や性癖の持ち主を排除することには、慎重に慎重を重ねた議論が必要である。具体的には、「明白かつ現在の危険」が統計的に立証されるか、たしかに私人間の人権相互の調整が必要だと示されるかしなければならない。(たとえば、「宇崎ちゃんポスターを見た人はその後1年以内にレイプ事件を起こす確率が80%ある」が正しいとしたら、さすがに取り下げてもらう他ないだろう。もはやそれは危険物だからだ。もちろん、このような事実は確認されていない)

 

 現代で倫理・道徳を設計するなら、「魔女狩り」の反省が踏まえられたものでなければならない。ツイフェミの行う「ロリコン叩き」を見ると、私はどうしても魔女狩りを想起する。