ツイフェミ等の現代左翼による「魔女狩り」~差別という「悪」を排除することの問題~

 「ツイフェミ」と呼ばれる有名なアカウントがいくつかあったのでフォローしてみた。そしてざっくり読んだ。だいたい何もかもが破綻している。破綻しているだけならまだしも、差別・排外を助長しているとしか思えない論もある。たとえばセクシャルマイノリティの権利である。彼らはLGの権利はうるさく言うが、BTとなると手薄になるし、PZNとなるともはや攻撃排除対象である。左翼運動がお題目にしている「セクシャルマイノリティを守る」という話はどこへ行ったのか?(それとも、「フェミニズム」はセクシャルマイノリティの権利には無関心なのだろうか。それならそれで、納得はいく)

 

 個人的なことだが、人権、倫理、道徳といったものを考える時は、決まって中世ヨーロッパで長きにわたって跋扈した悪習、「魔女狩り」について思い出さざるを得ない。「魔女狩り」は色々な意味で示唆的だ。単なる前時代的な思い込みや宗教の暴走と切って捨てられない部分がある。

 

 「魔女狩り」は当世一流のインテリ層によって正当化されていた。それもしぶしぶ、たとえばキリスト教教会が怖くて仕方なく正当化に寄与していたのではない。自主的に、積極的に魔女狩りを推進すべきだと論じていたのである。「4つのイドラ」を唱え、近代合理主義と科学的思考の道筋を拓いたフランシス・ベーコンですら例外ではなかった。こう言えば、少しはどれくらい「魔女狩りは正しいこと」と思われていたか伝わるだろうか。その他にも、ベーコンほど名前は残らなかったものの、多くのインテリが「さすがに魔女を排除するのは正しいことだ!」と自主的かつ積極的に主張してやまなかった。科学研究を推進するロンドン王立学会のメンバーでも例外ではなかった。そして、民衆もやはりそれに乗ったのである。

 

 ただ、もちろん反対者もいた。「異端審問では自白させるために過酷な拷問を使っていて、これでは誰もが嘘でも自白してしまう」と声高に言った人もいる。コルネリウス・ルースは著書『妖術の真と偽』で異端審問・魔女裁判の非合理性を強く批判した。なお、コルネリウス・ルースは科学者ではなく神父であった。他にも何名かいる。詳細は「魔女狩り」に関連する書籍を適当にあたってもらいたい。(検索すればすぐ出る)

 

 私たちが何らかの「悪」を排除するとき、必ず理屈での正当化が行なわれる。それはしばしば「まったく間違いのないことだ」「これほど正しいことはない」という確信を伴う。しかし、この正当化とそれによる確信は、非常に危ういのである。なにしろそのような確信は、「魔女狩り」を推進していた人の多くも持っていたのだから。

 「もっともらしい理屈」は決して当てにならないのである。とりわけ人を排除・排外するときはそうである。

 

 性的搾取や性的モノ化といった用語を使えば、上のような「もっともらしい理屈」は作ることができる。一部のインテリを深く信じさせることもできるだろう。だが、ある目的のために特定の表現や性癖の持ち主を排除することには、慎重に慎重を重ねた議論が必要である。具体的には、「明白かつ現在の危険」が統計的に立証されるか、たしかに私人間の人権相互の調整が必要だと示されるかしなければならない。(たとえば、「宇崎ちゃんポスターを見た人はその後1年以内にレイプ事件を起こす確率が80%ある」が正しいとしたら、さすがに取り下げてもらう他ないだろう。もはやそれは危険物だからだ。もちろん、このような事実は確認されていない)

 

 現代で倫理・道徳を設計するなら、「魔女狩り」の反省が踏まえられたものでなければならない。ツイフェミの行う「ロリコン叩き」を見ると、私はどうしても魔女狩りを想起する。